2022年12月06日

公式逸脱


「誰もが自分の人生における、ある種の公式を持ってると思うんだ。その公式から逸れた時、あなたは大失敗もしくは大成功するのさ」


これはMr.ロッキー、シルベスター・スタローンの言葉。

ここで言う公式というのは、自分の性格や性分からくるやり口のことでしょう。思考回路や話の仕方、持って行き方等。それは自分にとって良かれと思っているか、得があるからこその公式ですね。

それを逸脱するということは、不本意ながらか、ないしは普段は選ぶことができないレベルのこと、とても勇気ある決断として清水から飛び降りたとかだと思うが、大失敗はまあ想定内だとして、大成功が訪れるならこんな人生勉強はない。


たしかにそうなのだろう。

そこそこの成功なら自分で狙って獲りにいけるものだろうが、大成功となると、それを超えた決断や行動、自分も驚くような想定外へと導かれて、初めて訪れる。

運を呼び込むのも、そういう判断からの運命だと思う。


そうやってやり口が大胆かつ盤石に拡がっていくことを、成長というのでしょうね。




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2022年12月05日

何を怒っているか


生徒には怒ってはならぬ。

それでも頭に血が上りはじめたとして、それはなぜかと考えると‥‥

教師としての自分の理想とかけ離れている、というのがあると思うが、実はこれはとても勝手な話で、生徒がなるべき姿はその生徒の中にあり、教師が定めることではない。もっと高いレベルでいて欲しいのなら、高いレベルの生徒を教えるような立場に自分がなればいいだけの話。


もうひとつは、過去にしたアプローチからの現状を評価し、教師側が思う努力がなされてこなかったと判断したとき。つまり「言ったことやってないでしょ」「さらってきてないでしょ」というやつ。

これは実は現状というより、過去の時間に対して腹を立ててるとも言える。

そうではなく、今の姿に対してアプローチをしようとする、そして未来にあって欲しい姿こそをイメージすれば、実は怒ることにはならないはずだ。

誰だって、初めてレッスンした生徒ができが悪くても、怒ることはないだろうから。


ただ本当に大事なことは「いつ何がどれだけできたか」ではなく「どれだけ伸びたか、どれだけどう変わったか」。つまりどれだけ成長したかであり、そうすると過去から現在までの変化は気にしないわけにはいかない。

そういう意味で過去と比べることは大事。

しかしこれも怒る人間ではないタイプの教師の方が、圧倒的に成果を上げることを知っていたい。

つまり怒ってしまう人は、伝えられていない、成長させることができない人ということになる。

なにせ本人が成長できてないのだから。

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2022年12月04日

共感しまくる嘘


ドラマにどっぷりハマる。とにかく楽しみまくっており、先が気になってしょうがない。早く家に帰って続きが観たい。1日の楽しみ、というか人生の楽しみ。

そんな鑑賞は、ストーリーにハマり、登場人物に共感や憧れ、同情しまくってたり

ふと‥‥


これ、演技なんだよなあ


時々我に返るようにそう思う時がある。大半の時間はそうは思わず、見入って心を持ってかれているということは

「凄い高性能の嘘に騙されている」

ということだ。ですよね?

だって演技ってことは、演じてる人の現実の状況ではないし、感情は別なものが内在しているか、内在しているところに上書きのように注入しているわけで、それを目の動きや身体の微妙な表現でここまで共感させるということは、

希代の大ペテン師と言っても過言ではない。

だからといって軽蔑どころか、大いなる尊敬の気持ちで見つめてしまうのだから、この嘘は実に価値のある見事なものだとなる。


人類の不思議のひとつのような気もする。

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2022年12月03日

怒ってしまう理由


「怒る指導者」「怒鳴る教育者」は、今の時代流行らない。なんならハラスメントという有罪事項だ。

そんな時代になったことを嘆く人ももちろんいる。「生ぬるくなって、軟弱な人間しか育たない」「弱っちぃ大人ばかりの社会になってしまう」などと陰で怒っていたりする。

この価値観の是非については、多くの人があらゆる論点で語りながら、それでも大半が時代の流れに逆らわず、自分を怒らない方へ変えていこうとしている。


僕がひとつ、端的に結論として思うこと。それは怒ってしまう人のその理由。それは


「若者に伝えるものを自身が持ち合わせてないから」


だと思う。教育能力で言えば、低いのではなく「無い」。


だから相対する若者が、できている、できていないという判断だけをし「できてないじゃないか」と怒る。

違う言い方をすれば、怒るに至る前に伝えることをするのが仕事なのに、それを全く持ってないため「怒ることしかできない」。

これは実は教育者でなくても誰でも、なんなら世界中の大半の人ができること。そういう意味で、怒る教育者、指導者はいらないという世界に向かっている。

一介の動物から知性生命体へと。


相手ができないと怒りが湧いてくるのは、自分の方に「不遜な欲求」があるから。

若者はできないから教育を受けているし、それは人によって差があるのが当たり前なんだから、自分が思っているようにできないと腹が立ってくるというのは、完全に「自分勝手な欲求からのエゴ」だ。

エゴこそ教育の邪魔になる。

つまり「エゴを抑えられる力」というのが「怒りを沸き立たせない力」「伝えるべきことを持つ力」と同義語なのだ。

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2022年12月02日

ルパンと不二子的タイミング


もうそう思って長いのだが、テレビで大泉洋さんを見ていてつくづく

「ルパン三世の実写版は、この人がまんまやれば完璧。素晴らしい出来になるのになあ」

と。

見た目、内面、表情、表現‥

しいて言うなら、山田康雄さんから受け継がれ、リスペクトからの栗かんが築いてきた声が染み込みすぎているのが。

しかしこれも、大泉洋のひょうひょうとしたトークテイストでも違和感なく様になり、あっという間に慣れるのだと思う。


そしてそれに比して、例の「峰不二子をやる女優不在問題」が、やはり私たちの日常を悩ませて仕方がない。

美貌、スタイル、人間性のイメージ。誰がやってもその女優の手垢的イメージが、峰不二子という唯一無二のキャラへと見せつけるのに邪魔をするのでは?それなら無名の新人の方がいいのでは?と、個人的にルパン業界へ訴えてはきた。

ふと‥‥

ワールドカップニュースで話題の「美しすぎるサポーター」として、SHONOという人が話題になっている。


この人でいいじゃん


我が家でそんな話に。

レアなうちにやっちゃった方がいいなあ。あまりテレビで峰不二子じゃないキャラを振り撒いてしまう前に。

posted by take at 10:57| 活動報告