2022年11月04日

聴こえる能力


とある奏者の動画を見ながら感じる視覚的テクニック問題点。

それは程度で言えば「もっと良くない人よりはいいが、不備を感じない人よりは良くない」というもの。

どの動画を見てもそうなので、撮っている本人は気がつけていないのだと思う。

ただ音を聴けばそのせいでフォルムが洗練されていないのは僕にはわかるが、本人はこれまた気づかないのだと思う。


僕らにとって必要なのは、あくまで聞こえてくる演奏、つまり音。見た目ではない。同時に見た目から見えてくる不備というものは、本人にはなかなか気づけない程度なのかもしれない。

とすれば最後は、やはり最も必要な音としての演奏、それを洗練させるのは「耳でしかない」となる。

最後は、どれだけ

「自分の演奏が、しっかり判断できる程聴こえているのか」

に尽きるのだろう。

単純な話。聴こえる能力である。


聴こえていても良くできない、改善できないのだとしたら、それは聴こえていないということになるのだと思う。

他人のものは的確に評価できたりする、つまり価値観は真っ当だったりするのだから。

posted by take at 17:52| 活動報告