2022年11月02日

前向きに諦める


亡き父親の言葉で忘れられないものがいくつかあるが、そのひとつに

「武典、会社やゆんは150年もは続かんのぞ」

というのがある。

一流企業から中小まで、一時期どんなに栄えても必ず廃れるときは来ると。世襲なら受け継いだ者が食い潰すだろうし、外からの血を入れながら続けても、世の中はどんどん変わり、それと共に消えると。

まあそのときから150年前っていうと江戸時代になるから、確かに現存する会社たちはまだそこまで辿り着いてないだろうし。

そんな話を反芻しながら、一番強いのは「赤福」や「八ツ橋」などに代表される老舗和菓子じゃないかなとよく思います。和菓子に限らず、この手のものは「創業ウン百年」というのも多いわけで。

そんな世紀を超えて愛されるものの素晴らしさに憧れながら、同時に思うのは

「伝統の味を守るってことは、逆にいうと変化や成長は諦めなければならないんだなあ」

ということ。

なぜ大多数の会社が消えていくのかというと、結局世代や人が変われば、その人は自分のオリジナルでこそ成功したいと考えるわけで、先人のものを変え、更に成長させたいということを生き甲斐にしていくから。

ただそれはそれで栄枯盛衰という運命を辿りやすい。

スポーツでも我々演奏の世界でも、おそらく大半のことは、そのフィールド全体が、5年10年単位でレベルアップしていくことになる。30年も経てば年長者のものは「古いスタイル」となる。50才のスタイルは20才のスタイルよりも明らかに古風になる。

そうならないように、若い世代のものをどんどん取り入れて自分の価値観やトレーニングを変化させていく努力をする人は立派だが、しかし思ったより進化の幅が大きかったり、そもそも経験してきた当たり前の違いから、価値観の根っこの差を埋めることが難しかったり。身体を使うものなら、そもそも衰えと共にやらなければならなかったり。


老舗もオリジナルも、良いことばかりではない運命と共に進む。

後ろ向きな発言では決してないのだが、

「とある部分は諦める」「見ないようにする」

というのは、人生にとって必要なことなのだろう。


posted by take at 16:54| 活動報告