2022年11月09日

終わり方って大事


「終わりよければ全てよし」という諺がある。物事は結末が大事で過程は問題にならないという意味だと。


そお?


ま、そんな場面もあるでしょうが、最初から途中まで失敗しても最後だけ上手くいったら問題ないって‥

ことにはならないよねぇ。

僕は逆説的に捉えている。途中までどんなに良くても、最後がダメだと全体が残念な印象にしかならないよと。

つまり「終わり方って大事」って。


年齢も年齢になってきたので、N響の終わり方、いろんなことの終わり方、そして人生の終わり方も、少しずつ考えるようになってきた。

今まで人様に後ろ指を指されない生き方をしてきたつもりだが、だからといってこれから先油断して、残念な印象にならないよう気をつけなきゃなあと。

そういう意味で、有名人や知り合いにがっかりさせられたり、恥ずかしい印象を持たされたりする場面もいくつかありますよね。

そうならないように。

別に目立つように上手く終わる必要はなくて、ひっそりとでもいいから、スムーズかつ自然なエンディングになるように。

こんなこと書いたら「元気ないのか?」と思われますが、いえいえ、いたって元気。

まだまだわちゃわちゃ生きていきます!

posted by take at 21:09| 活動報告

2022年11月08日

世代間不具合、というかおっさんの不具合


若者が話しかけてくる。


「吉川さん、髪切られたんですね(敬語)」

「そう、切られたの(美容師に)」

「結構短くされたんですね(敬語)」

「そう、短くされたの(美容師に)」

「かなりいかれましたね(敬語)」

「(誰がいかれとんねん!)かなりいかれたの(美容師に)」

「とても似合ってますね(ただのお世辞)」

「え、臭ってる?(過剰反応)」

「あ、い、いや(めんどくさ)」

「ふふふ(どや)」

「‥‥」

posted by take at 16:56| 活動報告

2022年11月07日

全ては無意味?


とある人が「どうせ全員死ぬんだから、全ては無意味」なんていう振れきったことを言っていた。

そうは言ってもあらゆることに執着してしまうのが私たち。

人間関係や自分の価値としての証なんかには、たとえ消えて無くなることが分かっていても、なんとかしたいとジタバタしてしまう。


人が住居として住んでいる建物も、ほぼほぼ全て取り壊されますね。50年もったら凄いのでしょう。それがマンションであれ戸建であれ、残してもしょうがないし、そもそも残らないし。歴史的建造物ではないがぎり。

だから自分の住む空間は、本当に自分と家族だけのものと考え、自分の好きなようにあつらえ、そして「どうせ消えて無くなるんだから」なんて刹那に感じながら、住みたいように住めばいいんですよね。


とにかくモノも住居も、あらゆる物質や自分の人生すら、本当に消えて無くなるんだから、深く悩まず生きたいように生きれば良いのだと思います。

posted by take at 18:33| 活動報告

2022年11月06日

モノ、そして空間


とにかく買わない人

必要なモノだけ買う人

必要じゃないし、なんなら使いもしないのに買う人


世の中の人は、この3つがライン状にある物差しのどこかにいるのでしょう。

スティーブ・ジョブズは「モノをたくさん買うのはやめたよ。くだらないモノばかりだから」と言ったそう。お金が有り余ってて、なんでも買えた人の言葉だとは思いますが。


くだらないかどうかは個人の感覚だが、少なくとも自分が生きるための実質的道具として買う人と、興味からの購買欲を満たすためにさっさと買う人、どちらかの傾向に分かれるのでしょう。

モノが増えると、空間が狭くなっていくし雑然としてきますね。

僕は感覚的にはモノより空間の方が大事。空間がひとつのモノとでも言うか。

断捨離もどんどんし、本当に必要な最小限のモノ、そしてゆったりとした空間で過ごしたい。

「いつか使う‥‥そのいつかは来ません!」とはっきり言い切った人の言葉は、とても印象的で現実的。

さほど使わず捨ててしまう物なら、最初から買わなくても良かったのかもしれない。

それよりは空間を買いたいくらいだ。ひとつのモノとしての空間を。

posted by take at 18:20| 活動報告

2022年11月05日

実は諦めている


ひとりの人間の人生。

実は何でもかんでもは手に入らない。というか、入るものは限られており、ほとんどのものが入らないのが現実。

つまり大半を諦めなければならない。

でも自分のみならず、若い世代にも「どんどん諦めること」を奨励するのは、どう考えても違う気がする。

イチローじゃないが「諦めないという資質こそをゲットできた方がいい」と言いたくなる。


現実とこれらが、ある意味矛盾しているようにも見える。

ではどう考えればいいか。

「実は大半のものを諦めていることに気付かないくらい、今の自分が取り組んでいることに夢中になる」

ということに尽きる気がする。

そんな自分が取り組むことも、遠く感じる上澄みを目指す、レベルの高いものを目指すという夢の大きさは大事だが、同時に自分の現実や足元を見て、今に必要なことにこそ夢中になる。

自分のレベルや立ち位置、立場に夢中になって初めて的確にもなってくる。

そうすることによって、場合によっては諦めなければならないこと、知らない間に諦めていることのことが気にならない、というか気付いてもいない、なんていうのが最も幸せな人生なのでしょう。

人との関係もそうでしょう。恋愛という意味ではなく「あの人と付き合いたい」「あの人とも仲良くなりたい」「あの人ともこの人とも」みたいに、人間関係断捨離ができない気質ではなく、最も近くにいる人を最も大事にし、そのことに夢中になったらあれこれ欲しくならない、というのが理想だと思います。決して内向きになり、人間関係を断ち引きこもりましょうという意味ではなく。

そうすれば、自分に本当に必要なだけの友人が手元に残るのでしょうから。


今の自分が取り組んでいること、そして近くにいる人こそに夢中になる。それに一生懸命になれれば、諦める辛さは感じなくなれる。


それでも諦めなければならないときがきたら、手にある幸せの方に感謝しながら、ふわっと諦められますように。

posted by take at 18:55| 活動報告