2022年11月24日
ばらけない=かたまりになる
バラバラになった方が良いもの、良いこと。
チャーハンのごはんつぶ
いくら
独立国家の主権‥
もう思い浮かばない。きっとあるんだろうけど。
その反対で「バラバラじゃない方が良いもの」というなら、なんぼでも出てきます。
そう、私たちの生きる世界の大半は、バラバラじゃない方が良いもので溢れている。つまり引っ付いていたり、まとまっていたり、かたまりになっていたり、ひとつになっていた方が良いものが大半。
演奏の時間も人生の時間もひとかたまりの方がいいし、最も身近な家族や必要な人間関係もバラバラじゃない方がいい。
とにかく、ばらけない方が良いということはひとかたまりになっていた方が良いのだと、これまたシンプルに考えると、やるべきことが簡単に理解できることがあります。
posted by take at 19:24| 活動報告
2022年11月23日
積み重ねと刺激
僕はひとつのことを長く続けるのが好きで、そこに必要な積み重ねこそが、まだ自分が知らない素晴らしさへの道筋だと思っています。
その反対が、単発であり一過性であり刺激。
とある指揮者が「自分は人を驚かせるのが好きだ」と言っていたのですが、だから刺激的な瞬間ばかりを探し、それを並べるのがスタンスになっているのかと思ったことがある。彼はそれが繋がるのがいいと思っているようだった。
しかし僕が感じたのは、それは積み重ねではないし、ある意味刺激的な表現というのはいくつものやり口があるため、どこまで探しても満足しきらないだろうなあと。より強い刺激を求めて、また答えのない世界を探しさまようのではないかと。
演奏家なら「感動させたい」という根っこの方が良いと思います。「驚かせたい」なら、マジシャンになった方が良いのでは?と思う。
この「積み重ね」を選ぶか「刺激」を求めるか。
何気にシンプルなこの2択で考えると、人生も見えやすくなる部分があると思います。
posted by take at 13:40| 活動報告
2022年11月22日
2022年11月21日
小澤さんに指揮をしてほしい
僕なんかが偉そうに言うことでは本当にないのだが
「小澤征爾さんに指揮をさせてあげたい」
ずっとそう思っている。87歳の小澤さんが車椅子で指揮をしている姿を見て、改めてそう思った。
「小澤さんも87歳かあ」と、久々の姿に思う人も多いと思うが、病気になり指揮がままならなくなってからもう長い。
僕は幸いにも新日デビューのマーラー1番から5年間で幾度となく経験できたし、N響を振った2回、これはN響事件後ブランク明けの和解とも言われた2回だが、両方とも経験できた。これは僕のオケマン人生の大きな宝物だ。
小澤さんの素晴らしい音楽、情熱、世界の上澄みからの信頼を、僕自身尊敬の眼差しでずっと見つめてきた。
人生を音楽に捧げた人はみんなそうだが、自分で線を引くならともかく身体のせいでできなくなるのは、本当に死ぬほど辛いことだ。
小澤さんはどう見てももう一体化していたわけで、そんな彼がやりたくてもできなくなって。あの人のことだから、復活を信じ、毎日憧れることをやめず、できることはやっていたはずで‥
車椅子でも、指先だけでもいいから、小澤さんに少しでも指揮をしていてもらいたい。
音楽の音の中に生き、幸福と課題を胸に未来へといて欲しい。
そう願ってやまないのです。
posted by take at 17:53| 活動報告
2022年11月20日
いやあ、トロンボーン吹いてまして‥
買いにいった紳士服屋の店長さんの娘さんがトロンボーンを吹いているとのこと
我が家のリフォームの見積もりに来た担当者がトロンボーンを吹いていたとのこと
新しい美容院の美容師さんの娘さんがトロンボーンを吹いているとのこと
これ全て2週間以内に出会った話。
多くない?
買いにいった紳士服屋の店長さんの娘さんがトロンボーンを吹いているとのこと
我が家のリフォームの見積もりに来た担当者がトロンボーンを吹いていたとのこと
新しい美容院の美容師さんの娘さんがトロンボーンを吹いているとのこと
これ全て2週間以内に出会った話。
多くない?
posted by take at 17:37| 活動報告