2022年10月30日

人生交響曲


若いとき、そして年齢を重ねたとき。

なぜ生き方の雰囲気が変わるのかというと、若いときには全く見えなかった「人生の一括り」が、とある年齢から見えてきて、その全体の流れに対してどう生きていくかを考えるようになるからだろう。

その一括りとは、

身体的には栄枯盛衰であり、経験することは波瀾万丈であり、頭的には積土成山(せきどせいざん)

とでも言おうか。


僕は音楽も、そんな一括りが見える作品が好きだ。

1人の人生(一曲)としては、1人らしい個性が欲しいし、そのあらゆる場面、若者が栄えながらも老いていくのだとしても、それぞれの場面がきちんと辻褄が合うように繋がっていたい。


シベリウスの音楽にはそれが強く感じられる。あらゆるフレーズが重なり合うように絡み合いながら進む場面は多いし、ときにはフレーズの最後の音が次のフレーズの頭の音として設定されている場面もある。

そして最後の交響曲では、ついに単一の楽章になり、人生のように一括りになってしまう。そこには栄枯盛衰も波瀾万丈も積土成山も表されながら、それでも完璧なひとつの辻褄として、コンパクトにすら感じられるように見事に塊きる。


若い頃には自分の人生がどうなってしまうのか、そもそも人間はどう生きてどう感じるのかは全くわかってなかった。

それでもシベリウスが少年の頃から好きだったのは、たとえこんな理屈から入ったのではないにしても、もしかしたら僕の直感が時空を超えたのかもしれない。

今になると、たとえ1番の交響曲でもとてもコンパクトな塊に感じることができ、その豊かな才能を存分に享受できる。

とても短く感じられるのは、ブルックナーの5番の後だからかもしれませんが‥‥

posted by take at 12:29| 活動報告