2022年10月12日

際立ったやり口


個性というのは、その人の「際立ったやり口」とも言える。それが魅力的であれば歓迎され、そのやり口見たさ、聞きたさありきで求められたりする。

演奏者や役者には、そんな個性が欲しいと思ったりする。個性が感じられず、別に他の人がやっても同じなんじゃない?なんて思われるとしたら、価値としては低いとなるだろう。その演者ならではの表現こそが見たいと。

ただ「何をやっても彼なんだよねー」と言われ始めると、少し話は違ってくる。

「バロックやってもロマン派やってもコンテンポラリーやっても全部同じ表現。国が違っても時代が違っても同じ。アレしかできないんかなあ」と、そのやり口の魅力よりも、個人としての幅の無さを突っ込まれ始めたら、決して高評価とは言えなくなってくる。


「カメレオン役者」と言われている人がいる。やる役やる役、全く別人がやっているような演技に見える。本人も「役が違うなら一回も同じ演技をしたくない」と。どれが彼らしい演技なのかは全くわからないくらい見事に別人。そんな役作り、とても難易度が高いだろうから、それはそれは見事な能力と言える。

これは「手数の多さ」という表現になると思うのだが、彼らしさを探すのが困難なほど「いつもの」が無いので、無いことが個性、無いことが際立ったやり口、無いようにできることが魅力となる。


もちろん手数は少ないより多い方がいい。同時に「その人ならではの表現」という魅力的個性はやはり持っていたい。

「吉川、何やってもああいう風にしかできないんだよなあ」では嫌だし、でも「吉川、やる曲によって全部表現違うんだけど、吉川節ってのは感じられないんだよね」もどうかと思う。

演者としての際立ったやり口。

手数も個性も欲しいし、何より心奮わず説得力と、共感力を呼ぶ圧倒的な魅力が欲しい。

永遠に飽きられないくらい賞味期限が長い、そんな個性なら、手数うんぬんなんて話にもならなくなるのでしょうが。

posted by take at 14:59| 活動報告