2022年10月03日

適量論


身につけるべきあらゆる事というのは、身体や頭への負担があってはじめて手に入れることができる。ゼロ負担では無理だ。

人生を長く生き抜くのだってそう。

疲労すべきことをやり回復することにより付く筋肉や、頭を使って記憶したり考えたりし得る知識を持たなければならないが、それは負担なくしては手に入らない。社会の中での言動を問題なく遂行するためにも、ルールやコミュニケーション術を知らなければならないし、その際には自分の無知や勝手を叱責されるようなこともあったりする。つまり精神的な負担を経験せずして、普通に生きていくのが難しいという現実がある。

人間は、身体も精神もゼロ負担で生きたなら、あっという間にこの世を去るようになっているのだろう。


ただ、いろんな病気の原因を知っていくと、そこには「必要以上の負担の経験」が原因だったりすることがわかる。場合によっては、そうして身体が覚えてしまったことによる不治の病、致命傷に陥ることもある。


そう考えると、全てのトレーニング、というか言動の全てに「適量」が存在することがわかってくる。

ゼロではダメで幾らかは頑張るのだが、でも適量さえやれれば問題なく身につく。というか、適量なら不必要な負担がないため、頭にも身体にもベストな状態が訪れるだろうから、最も効果的で素晴らしい内容が宿るのだろうと。

本当は根性論なんかに支配されず、この「適量論」こそを理解し目指すべきなのだろう。


悩ましい病、ジストニアの研究が進み原因は、素因、ストレス、反復の3つがあるとわかってきたそうだ。

反復なんて演奏家の日常の常識であり、楽器のトレーニングも曲の練習もそれ無くして成立はしない。しかしその反復にはジストニアへの要因もあると。

つまりこれもまた適量を超えることの恐ろしさであることが理解できる。

同時に、だからこそ適量の真実を研究し、理解と実現へと辿り着くべき必要性を強く感じています。

posted by take at 16:09| 活動報告