2022年10月11日

脱力技


最近つくづく「本当の大きさ」と「力技(ちからわざ)」の差を感じる。

包まれるような大きさというのは、決して力づくからは生まれてこない。

なのに力でなんとかしようとしてきたアプローチ、その時間のなんと長かったことか。

今更後悔してもしょうがないが、これからこそ、うまいバランス、適量によるやり口で、自分もだが、特に若者たちを導きたい。

彼らには、僕のこのタイプの後悔はしてほしくないのです。



posted by take at 21:17| 活動報告

2022年10月10日

学生たちの話を聞いてみて


学生たちは学生たちで、いろいろ考えながら進んでいるし、いろんな練習や準備をしている。

それを話として聞ける機会を設け、そういう雰囲気にしていけば、普段聞けていない取り組みが詳しく聞けたりする。

そんな日常のスタンスを知らないと、学生に対しても「やってないんじゃないか」と懐疑的に思ってしまう瞬間もある。

良くない。


で、聞いてみて、「そっか、そうなんだ」と、納得したり、あらためて信用が増したり。とにかく嬉しくなったりもする。

定期的に、彼らの日常をきちんとリサーチすることは大事だなと思いました。

posted by take at 21:35| 活動報告

2022年10月09日

アンサンブルにて


生徒たちが、いつも以上ににリズムを正確に吹いたら、演奏が感動的になった。

「先生がおっしゃったように、アクセントを楽譜通りにしっかりやったら、納得できた瞬間がありました」

2度繰り返して録画したら、2度目に向けて彼らは自然と音楽的ニュアンスをどんどん生み出していった。そうしようとの自覚はないと思う。4人の潜在感性が自然とそう仕立てていくのだと思う。


やっぱりそういうことだ。

僕が改めて勉強になりました。


posted by take at 21:28| 活動報告

2022年10月08日

生徒の心


一番思うのは「教師は生徒(生徒たち)の心の状態というのを、決して甘くみてはならない」ということ。

彼らが、退屈になっていたり学ぶ気持ちにならなくなっていたり、そこにいることに意味を感じなくなっていたとしたら、それは物凄く恐ろしいことだということ。

威圧的スタンス、外付け的アプローチ、諦めたようなスタンス、無知と無関心。

そのどれもが、目線を外さなかったり従順に返事をしたりしていたとしても、彼ら心にあっという間に無益な雰囲気を作ることに貢献し、惰性と嫌悪感しか生まれなくなってくる。

生徒たちの心の状態に無関心であってはならない。なめてかかっては、決してならないのだと思う。


posted by take at 18:08| 活動報告

2022年10月07日

教師の変化


静かなるエキサイティングが派生するレッスン。

そんな理想のためには、生徒にとって「新鮮な気づき」が訪れるような場面を作らなければならない。

ただずっとそれを継続するのはかなり難しい。

誰もがそうだろうが「自分ならではのパターン」というのに指導者自身が支配されてしまう。「大切に思っていること」「好きなパターン」というのがあるからだ。

初期の頃は、それが生徒をエキサイティングに導くことができたとしても、数回やるうちに「またか」と思われてしまうこともある。

もちろん何年も同じことを言い続けようやく理解されることもあるので、継続しなければならない投げかけも当然あることは確か。

しかし先生のレッスンの切り口、やり口が生徒にとって惰性に感じられたなら、更なる新鮮な発想は必ず必要になってくる。

つまり教師自身が変化し続けなければならないということ。

それはとても難易度の高いことだが、本来は生徒の変化と共に投げかけが変化するというのが自然。そして教師も気づいていくことで変化していくのが自然ということになる。

posted by take at 17:59| 活動報告