2022年09月05日

壊さないのは自分、壊すのも自分


メンタルが壊れる原因、その種は周りにあったりする。いじめはじめ人間関係、家庭環境など、自分の周りのせいで気持ちがやられてしまい‥‥

しかし、本当に壊れてしまうかどうか、持ち堪えてなんとか回復するかどうかを最後に選択するのは、実は自分なのだと思う。

自ら命を絶った人。周りはよく「相談する人がいさえいたなら」と嘆いたりする。

そりゃ誰かに心の内を話せていたら、もしかしたら回避できたかもしれない。

しかしあくまでももしかしたらであり、相談していたとしても、やはり死を選ぶかもしれない。自分を壊してしまうかどうか、その選択は最後本人がする。周りではない。


演奏が壊れる、その原因は「楽器を完璧に操り壊れてしまわない演奏をすること自体が難しい」という、難易度にあったりする。

しかし最後、本当に演奏が壊れてしまうかどうか、壊れてしまうまでの吹き方をしてしまうか、冷静さを欠いてしまうほどのアプローチをして壊してしまうかしまわないか、その選択は自分がするのだと思う。

タンギングが壊れる、音色が壊れる、フォルムが壊れる、表現が壊れる。

いや、壊さない。壊すまで吹かない。


メンタルも演奏も、壊さないのは自分、壊すのも自分でしかない。

つまり演奏が「乱れたくない」と思うのは自分だし、「乱れてもいいくらい吹く」と選ぶのも自分だ。

演奏の結果は、自分が選択したことの結果なのだと思う。

posted by take at 17:00| 活動報告

2022年09月04日

ガンディーの言葉


マハトマ・ガンディーの言葉はシンプルだ。そしてそのいくつかが、僕には深く入ってくる。



あなたの夢とは何か、

あなたが目的とするものは何か、

それさえしっかり持っているならば、

必ず道は開かれるだろう。



多くの犠牲と苦労を

経験しなければ、

成功とは何かを

決して知ることはできない。



弱いものほど

相手を許すことができない。

許すということは

強さの証だ。



明日死ぬかのように生きよ。

永遠に生きるかのように学べ。



人間は

その人の思考の産物にすぎない。

人は思っている通りになる。



もし、

わたしにユーモアがなければ

これほど長く

苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。

posted by take at 17:24| 活動報告

2022年09月03日

ことわざの響きから


アフリカのことわざ。


「人生には季節がある」


ケニア、タンザニアで語られるもの。

人生には、良い時あれば悪い時もあるというシンプルな意味だそう。

意味はもちろん普遍的とも言うべき広さだが、この言葉がとても素敵で、そしてあれこれ意味を探してしまいませんか?

人生を季節となぞらえたことはなかったのもあり、いろいろ思いが巡ります。

posted by take at 20:46| 活動報告

2022年09月02日

新説「時の速度」


「年齢を重ねると時間が短く感じるのはなぜか?」というのは、あちゃこちゃでよく語られています。

よく言われるのは「二十歳のときの一年は人生の二十分の一であり、六十歳の時は六十分の一なので」という、比重として語るわかるようなわからないようなものですが、僕自身は「新鮮さや驚き、感動のように感じることの多さ」みたいなものじゃないかと考えてきました。


ひとつ、今の日常でも経験するわかりやすい「感じる長短」ですが‥

初めて行く目的地、駅を降りてたどり着くまでに「長く遠く」感じたものが、帰り道、駅までの道のりはそれより随分「短く早く」感じれたというもの。これは年齢なんて話ではなく、1日の中の数時間差の話ですから。

これは皆さんも良くあることではないですか?ここにヒントがある気がします。

それぞれの状態を書き出すと

「行く時」
・どれくらいかかるかが正確にわかっていない
・初めて見る景色ばかりで、合っているかどうかの確信があるとは限らない
・場合によっては、間に合うかどうか
・まだかなあ?と思いながら進んだり

「帰る時」
・逆とはいえ、一回通った道を帰ればいい
・もう帰るだけなので、間に合うかどうかというプレッシャーがない場合も
・行きは結構かかった気になっているので覚悟ができている
・あら、もう着いた


行きにあるのは基本不安ですね。帰りはその不安に対する安心。


これですかね?年取ったら時間が速く感じるの?

posted by take at 23:11| 活動報告

2022年09月01日

悪行貯金か嫌いになれない信念か


僕は「嫌われてもいい、平気」と開き直ること自体が、昔から苦手です。自分ができないという意味ではなく、そういう生き方の人のその部分が苦手ということです。

どちらかと言うと、嫌われないよう努力することの方を良しと思ってしまいますが、ただこれは度が過ぎると嫌らしくなってくるので、結局やり口がどうこうよりも結果から学ぶべきなのでしょう。


嫌われているか、嫌われていないか。その結果から。


「嫌われることを恐れるとなにもできないだろ」「賛否両論あるのがいいんだ」と、もちろんいろんな声が聞こえてくる。

しかし嫌われる部分がはっきりしている人は、改心や更生のタイミングを失うとどんどんエスカレートして嫌われていき、ひとりぼっちになったり、場合によっては最期周りの思いが「おとしめたい」にまでなり、現代では社会的制裁にまでなる場合も多い。嫌われていると、結局時間と共に本人が損をするようになっている。恨みを買って、それが悪行貯金のように貯まるんですよね。


嫌われない人。

やはりイチローのスタンスにヒントがある気がする。

断定的なイチローの雰囲気とか、かっこよすぎて嫌って人もいると思う。

しかしイチローが嫌いだと言うと、そっちの方が損をしそうなくらい突き抜けている。本人も「出る杭は出過ぎればいいんです」とも言っている。

あのイチローの姿に、嫌われないことのエッセンスがあちこちに充満しているようにも見える。

「そら、実力でしょ、凄いもん」

もちろんそうだけど、それだけじゃない「嫌いになれない信念的なにか」があるように見えるのです。

posted by take at 21:42| 活動報告