2022年09月10日
脱力
タモリの言う「やる気のあるものは去れ」「張り切らない」というのは、
脱力
のすすめのような気がする。
力むなよと。
力むと上手くいかない、力むと疲れるし、疲れると上手くいかないぞと。
筋肉を極限まで鍛えたくなるボディビルダーや、とにかく身体を大きくする力士のように、やれるところまでやりきって、痛めた先、いじめた先に素晴らしい成果が宿ると、やっぱり考えがち。
でもタモリによるとそれじゃやり過ぎだと。もちろんどのジャンル、なんの結果を求めているかにもよるのはタモリ自身もわかっていて、お笑い業界、テレビ業界の話として語っている言葉は多い。
同時にパワーを求めがちな世界、たとえば野球選手なんかでも、メジャーリーグに渡って身体をとことん大きくすることは、賛否両論あったりする。
僕自身、年々力が抜けてきてるとは思うものの、それでも若い頃「プロのオケマンは凄く音がデカかった」という先輩の言葉の呪縛から抜けきれていない。
いずれにせよ、冷静なる考察はとても大事だと思う。
最小限の頑張りで最大限の効果をという理想はやっぱり奥深く、頑張った後脱力するのか、脱力してから立派なものを目指すのか。まあ、タモリに言わせると「立派なんて目指すな」なんでしょうが。
今の僕は「最小限の頑張り」がどの程度なのか、その脱力さ加減を模索する、そんな日々です。
posted by take at 11:05| 活動報告
2022年09月09日
タモリの言葉
タモリの発言の中でいくつかとても気になるものがある。一般的には逆に言いたくなることが多い。でも‥‥
「コツはね、はりきらないこと」
もちろん張り切って上手くいくこともあるだろうが、張り切ったから失敗することもある。おそらく張り切らない方が冷静さを欠かないということだろう。張り切る状態って長く続かないので、失速もきてそれで上手くいかない可能性が。やはり自然体という落ち着いた状態が一番か。
「頑張ると疲れる」「疲れるとやっぱり続かないですよ」「頑張りすぎない方が人生はおもしろい」
確かに頑張ると疲れる。疲れない方が、というより疲れすぎない方が長く続くことは確か。瞬発的エネルギーよりも、緩やかに持続を選んだから、いいともは観る人も多く、長く続き。それを体験すると、やはりその方に価値を見出すのでしょう。僕の考えとしては「最小限の頑張りで」
「仕事もなんでも反省しない、反省ばかりしているとバカバカしくて、これから先やっていけない」
これは僕がN響スタートしたときに先輩に言われた言葉でもあります。長くなった今だとわかります。だんだん失敗が減ってきたのは、確かに反省よりもイメージと希望からかもしれない。
「すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです」
全ての事象は過ぎれば過去。だから、自分がしたこともそうなったことも、オールオッケーで進もうとするから、未来が面白い。
「大丈夫ですよ、終わりがあれば、またいつかはじまりますから」
これはきっといいともが終わったときのものでしょう。何があっても人生は進む。全てのことは必ず終わる。終わってほしくないと思うことが終わっても、また新しく始まることがあるから。
タモリの発言の中でいくつかとても気になるものがある。一般的には逆に言いたくなることが多い。でも‥‥
「コツはね、はりきらないこと」
もちろん張り切って上手くいくこともあるだろうが、張り切ったから失敗することもある。おそらく張り切らない方が冷静さを欠かないということだろう。張り切る状態って長く続かないので、失速もきてそれで上手くいかない可能性が。やはり自然体という落ち着いた状態が一番か。
「頑張ると疲れる」「疲れるとやっぱり続かないですよ」「頑張りすぎない方が人生はおもしろい」
確かに頑張ると疲れる。疲れない方が、というより疲れすぎない方が長く続くことは確か。瞬発的エネルギーよりも、緩やかに持続を選んだから、いいともは観る人も多く、長く続き。それを体験すると、やはりその方に価値を見出すのでしょう。僕の考えとしては「最小限の頑張りで」
「仕事もなんでも反省しない、反省ばかりしているとバカバカしくて、これから先やっていけない」
これは僕がN響スタートしたときに先輩に言われた言葉でもあります。長くなった今だとわかります。だんだん失敗が減ってきたのは、確かに反省よりもイメージと希望からかもしれない。
「すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです」
全ての事象は過ぎれば過去。だから、自分がしたこともそうなったことも、オールオッケーで進もうとするから、未来が面白い。
「大丈夫ですよ、終わりがあれば、またいつかはじまりますから」
これはきっといいともが終わったときのものでしょう。何があっても人生は進む。全てのことは必ず終わる。終わってほしくないと思うことが終わっても、また新しく始まることがあるから。
posted by take at 11:25| 活動報告
2022年09月08日
頑張らない
日本人には欧米人より根性論が潜在的に植わっているような気がします。
「頑張らなくていい」はともかく、「頑張らない方がいい」という価値観は、大半の人が素直に受け入れることはできないだろう。
「いや、頑張れよ。人間頑張ってなんぼでしょ。100歩譲って少しは頑張った方がいいんじゃない?」
「頑張らない方がいい」の裏に何か意図があると感じても、きっと理屈にたどり着くのに凄く時間がかかってしまう。それが日本人だろう。
タモリの言う頑張らないも、わかるようなわからないようなという人が大半だと思う。
頑張ったなら頑張った分だけ、その後の成果に繋がると考えるのが日本人。
しかしどうだろう?最近の僕は、頑張ってきてしまった自分に対して「頑張らない方がいい」と言っていたりする。
「凄く頑張らないとそうならないの?もっと頑張らなくてもたどり着けるんじゃない?その方が素晴らしいんじゃない?」と聞かれてしまったら、なんと答える?
「いや、みんな頑張って辿り着いてるんだ!頑張らないでなんてあり得ない!!」
きっとそう言いたくなる。
ただ山の登り方次第で実は結果が変わってくると思い始めた僕には、
「最小限の頑張りで成果を得る」
その結果の方が素晴らしいと思うようになってきました。
全く頑張らないわけではない。しかし「極めて頑張りすぎない」方が、より良き結果に繋がると。
なかなかそう思えないのは、やはり日本人として「頑張ることがいいことだ」と思ってしまっているから。
僕はもう少し冷静になりたい。
タモリが言っている価値観は、実はとても深く、実を持っていると思うのです。
posted by take at 17:53| 活動報告
2022年09月07日
イチローの賛辞
イチローの秘蔵っ子と言われているマリナーズのフリオ・ロドリゲス。一年目からイチローの目利きの通り大活躍だが、彼のことを語る言葉に、大いなるインスピレーションを感じた。
イチロー「たとえば足が速いとか肩が強いとか打つのが上手いとか、そういう選手はたくさんいます。たくさん見てきました。でも162試合を戦うために、毎日同じことを続けられる能力を持った選手は、ごくごくわずかしかいない、というのが僕の経験からのひとつの結論です。21歳にしてフリオは既にそれを持っているし、おそらくこの後も続けるだろうと想像をさせられますね」
またこのようにも。
「フリオはあれだけのポテンシャルがある上に、もっともっと上手くなりたいという思いがすごく強い。僕は、人に対して過剰に期待する、そういうことってしないようにしてきたんですけど、フリオに関してはそれができる選手。またそれを見たい。どこまでいくか、見たい。(そのために)僕ができることを全部やりたいという気持ちです」
イチローにこう言わせる選手というのは、本当に凄いんだろうと思わされます。
彼の過去のいろんな発言の中から、長期に渡りコンスタントに活躍できること、そして向上心がなくならないことというのが、美学として生き様のメインになっているだろうことは感じていた。
このフリオという人のトレーニングの仕方、ルーティンに、まさにそれが見えるのだろう。そしてイチローが年月と共に得られたことを、既に21歳でやっているとうつり、それが驚きとして受け止められ称えられている。
「この若者は、既に理想の鍛え方、壊れない策、常に登っていける方法を熟知している」
イチロー自身もそうだったんでしょうけどね。
これを演奏家に当てはめると
「音がいいとか、パラパラ吹けるとか、音楽的とか、そういう人はたくさんいます。しかし365日最高のパフォーマンスをするために、毎日同じことを続けられる演奏家はごくごくわずかしかいない」
となる。
そこにはルーティンの重要性だけでなく、その内容の是非、安定と向上に対する理想が見える。自分にも生徒に対しても、そんな素晴らしさに憧れずにはいられない。
クオリティや充実、驚きや感動が、一過性ではなく、人生を貫くことこそが人間として最も大事なんだとわかっている人の価値観。
こういう生き方ができる人は、絶対ドーピングに手を出さない。(やってユンケルまで)
それは本当に大事なことだ。
posted by take at 07:49| 活動報告
2022年09月06日
山の登り方
「壊れるまで吹かないことを選ぶのは自分だ」と言ってはいるが、同じ口で「自分にリミッターをかけない」と言ってきた。
響きも表現もこぢんまりとしてそれ以上いかないというのを打破してほしく、「自分の限界を超えようとして」と。
ただ最近の僕は「ダイナミックさの目指し方」に関して、考え方が変わってきたのです。
「同じように頂上を目指しても、山の登り方はいくつもある」という言い方は昔からよく聞く。これは、自分の登り方で良い、他人と同じ登り方でなくても良い、同じ頂上を目指しているのだからという、ノウハウに対する多様性を語るもの。
しかし今の僕は「登り方次第で、頂上に着いたときの状態は違ってくる」と思い始めたのです。
たとえば、急勾配を最短コースで登る人となだらかな斜面を蛇行しながら登る人。当然急勾配を上る人の方が早く登頂するだろう。しかし事故に遭うリスクはとても高くなるし、頂上に着いたときは疲れ切っていて回復に時間がかかるかもしれない。緩やかに登る人が何時間も後に着いたとき、まだ疲労から抜けきれず辛いかもしれない。
つまり、登り方次第で山頂での結果は変わってくる。
ダイナミックさの目指し方も、やり方次第で基本的音色やその響き方、更にテクニカル的な精度までが変わってるくるのだと思う。
やり方が違うと、やはり結果は違ってくるのだと。
posted by take at 17:24| 活動報告