2022年09月15日

鬱にならないために


「誰しもが鬱になる可能性はあります」という意見を聞いたことがあると思います。

同時に「でも自分は大丈夫だろう」と思う人がほとんどではないだろうか?「そこまでネガティヴに支配されないし」と。完璧に自信があるとは言いきれないけど、鬱になるようなタイプの人間ではないと思いたいし、思っているし。


しかし鬱への入口的不安は、どんな人にも突然訪れるのではないかと思う瞬間がありました。

あまり深入りしたくないので、簡単で単純な言葉にしてしまいますが‥‥


それなりに責任感がある。

周りに迷惑をかけたという自覚から抜けられない。たとえ「誰にでもあることだから、明日は我が身だから気にしないで」とか言われても。

そんなだから、とにかく自分はちゃんとしなければならない、失敗してはならないというプレッシャーを抱えてしまう。

昭和の時代のように、年長者でもいい加減でだらしない取り組みが散見したりそれでも許されたり成立していた時代と違い、みんな白黒はっきりさせ、若いもんも含めてきちんとしている(ように見える)空気感からの、湧き上がるプレッシャーをやはり全身で感じていて‥‥


なんてことがあれば、誰でも心の奥底から小さな不安が発生し、それが大きくなっていって、ということがありうるのでしょう。


人間とは誰しもが不完全でちゃんとしてないものというのが、世の中がどうなっても絶対必要な認識なのだと思います。

だから教育があるし、だから成長があるし、だから変わっていける時間が人生には計上されているのだから。

posted by take at 18:59| 活動報告

2022年09月14日

余裕を意識


僕の最近の思考の方向。「頑張らない」「力まない」「無理しない」を様々試していると、結果「余裕」に辿り着く。そして、余裕とは元から備わっているものではなく、自分で自分に与えるものだとの考えに至ります。

また日本人には「頑張ることが素晴らしいこと」ということが根っこまで染み込んでおり「そうではないこともある」という考えに至りにくくなっているとも思います。

これらから日々パターンを研究していると、日本人としてのもうひとつの気質として「余裕そのものに対する意識がそもそもあまり無いのではないだろうか」と考えるようになりました。


余裕をピックアップして考えたとき、結局いついかなるときも、何に取り組んだとしても

「余裕がある方が絶対良い」

という現実にたどり着きます。余裕が無いと失敗率は上がるしクオリティも下がる。もちろん普通の状態でもいいが、余裕があればある程結果はより好転することは確か。

その余裕が失われるパターンとしての「頑張る」や「張り切る」や「無理」というのを考えれば、頑張らないことの大切さというのはわかりやすくなってくる。


しかし私たちは日常的に、あまり余裕のある無しを意識していないし、具体的に憧れてもいないのではないだろうか。言葉にもあまり出さないし、それを要求したり確認したりすることも少ない気がします。

それはどこかで「自分の気持ちではどうにもならないこと」と思っているからではないかと。

しかし最近の僕はそう思わない。

「よし、今から余裕を持って取り組もう」というのは有りだし、癖にしてコントロールすべきこと、そしてもっと言葉にして、自分にも生徒にも要求すべきことだと思っています。

posted by take at 18:30| 活動報告

2022年09月13日

順番の勘違い


よく思うことだが、優れたプロの演奏家であればあるほど、初見からとても様になった演奏をする。それが新曲で、音源も一切なくても、楽譜を初めて見て初めて吹く時からそれらしく演奏したりする。

これは、練習であろうがいついかなる時であろうが、最初から表現こそをしようとして取り組むから。その取り組みが、楽譜の記号からきちんとそれらしいニュアンスを引き出してくるから。


学生に多く見られるのは、とにかく楽譜をさらっていきある程度できるようになると、そこからやるべき表現が見えてきてできるようになると思っていること。実はそれではたいした表現にはならないし、楽譜の再現の域を出ない。

技術がついて来れば表現もできるようになると考えることも同じ。そうではなく、表現したいこと、その意欲は最初からあり、それを目指して練習するのが必要な道筋。

これは順番の勘違いという、何気に多いパターン。余裕というのは最初から備わっているのではなく自分で自分に与えるものだという、私たちが勘違いしがちなことに似ており、ここが的確になることこそ、成長や成果には不可欠だと考えます。

posted by take at 10:01| 活動報告

2022年09月12日

余裕の発生源


人生は常に、いついかなる時も余裕があった方がいい。

どんな場合でも、余裕こそが集中力や的確な考察を生み、成果や成長を促すのだから。

忙しいというのは、そういう意味で良いことではない。忙し自慢のようなことをする人もいるが、そんな状況、決して良いわけではないのだと思う。


そして余裕というのは、最初から備わっているものではなく、自分が自分に与えるものだと気づきました。

実はテンパっていっぱいいっぱいにしてしまうのは、状況ではなくこれまた自分が発生源として、敢えてそうしてしまっていること。

そしてその逆、余裕に溢れている状態にするのも自分自身なのだと、ある瞬間気付きました。

posted by take at 21:28| 活動報告

2022年09月11日

反省なんか‥


タモリの言葉注目週間なんですが‥‥

考えたこともなく、理解も少し難しいのもありました。


「反省と一口に言っても、勝手に自分だけが悪いと思っていることもあるから。そこでもう一回、その反省を元にして、同じ状況に立って、こうすればよかったということを再びやったときに、それがその場にそぐうかそぐわないかは、また疑問だからね」


たとえば周りと音が合わないとして、100パーセント自分のせいだと思いがちな人、そんな場面はありがちだが、冷静に考察すると周りにも原因があったりするからね、という投げかけがあったりする。

このタモリの言葉はこれのことでもあるが、また違うことも言っている気がします。

あんたの反省的外れかもよとのことだろうが、そもそも反省なんかせんでよろしと言っているタモリなので、深読みしてしまいます。

いずれにせよ、本当にすべき反省と、しない方が良い反省があるのでしょう。

難しくてよーわからん。

posted by take at 15:54| 活動報告