2022年08月24日

人間だもの(相田みつをではなく)


芸能人はじめイメージ業的要素が強い人が、不祥事で残念なことになる。

だれかれ構わず有名人の不祥事をとにかく待ち望み、ゴシップこそを喜ぶような人も大勢いるので(僕はそんな人をヒマ人と呼んでますが)、粗探しから暴露まで無くなることがないことはたしか。

ただ僕は、そんなイメチェンを「とても、とても残念」に感じてしまうことが多くなった。


昨日までは「胸を張って自然に人前に出ている」のが、今日になったら「とにかく不自然に、申し上げなさそうに、堂々と出来ず」と。そして一度変わってしまったイメージが、元通りになることは決してない。

それを見るのが本当に残念で、本人の不徳とはいえ、そんな状況がある意味不憫で、「人は時が流れれば状況が変わる」っていうあれの、残念な時の流れに残酷さすら感じてしまう。


そんなこと言ったら、吉川も見た目そうとう残念になってるよと言われそうだが、見た目はまあ仕方がないではないか。それが年をとるということだし勘弁してくれい。っていうか、そこは自分以外の人は残念ながらほとんど期待していないのが現実。

ただ人間性のイメージというのは、「良い人であってほしい」という期待と共に持っていたりすることもたしか。

それが状況が変わり、こちらが見づらくなる、同情させられる、というのはやはり裏切られたという気持ちにもなってしまう。


とにかく一番大事なことは「被害者がいるなら、その人の無念は少しでも晴れなければならない」であり、その他大勢の立場のイメージは二の次三の次だが、それでもひとりの人間として、生きていく指針として「人間的輝き」というのは見ていたいし、「なんだ、あんたも所詮そんななのか」とは、思わされたくないのです。


所詮人間だもの、の「人間だもの」ではなく

やっぱり輝く人間は輝くねえ、からの「人間だもの」であってほしいのです。

posted by take at 19:34| 活動報告