西田さんの寄稿からもうひとつ感じだこと。
『では、軽いマウスピースは吹けないのか‥‥というとそうではありません。息を「どっか〜〜ん」と入れるプレイヤーにとっては吹きにくいと感じますが、息を「全てコントロール下における」プレイヤーにとってはこんなに使いやすいマウスピースは他にはないのです。ある意味、重い楽器と軽い楽器‥‥これの使い手がハッキリと分かれてくるのとよく似ているのではないかと思います』
これまたとてもわかりやすく、納得と共に、新しく奥行きの方へ考察が向かいます。
キーワードは「性分」
そう、僕も完全にそうですが「どっか〜〜ん」と送りたいという性分なんですね。
そしてそうじゃない人もいて、その人にとっては違う道具、違うやり方が良かったりする。
つまり全ての道具やノウハウというものは、スタンダードが存在しつつも、そこから先細分化されたところに「人の様々な性分との相性」がある、絶対的是非ではないという現実。
もちろんマジョリティ、マイノリティということはあるだろうが、それでも大事なことは
「自分の性分とあっているものこそを的確に選ぶ能力を持つ」
ことでしょう。人がどうこうではないしそれに振り回されたりせず、我が性分にこそ正直に。
性格というのは意外に他人の方がわかっているとしても、性分というのは、最後は自分にしかわからないものだったりする。だから自分こそが性分を正確に理解しようということは大事で、それができれば、他人の性分も認めることもできるようになる。
我が根っこに対し的確に選べているか否か。情報や余計な憧れに振り回されていないか。
是非の議論というのは、ここにこそあるべきだ。
多様化に対する価値観も、この真理にこそ大切なポイントがあるのでしょう。