2022年08月17日

嬉しくなって欲しい


僕の教育の根幹にあるのは、もしかしたら「成長を望む」ということよりも、自分が変わることで「嬉しくなって欲しい」のかもしれないと思う瞬間がありました。


教育ではないが、ブロカートでの取り組みなんかは完全にそう。

演奏が整い上手くいくことで、とにかく嬉しくなって欲しい。もちろん僕自身、オーケストラの指揮ができることを楽しんではいるが、それでも職業指揮者になってあちこちあれこれやりたいとは思わないのは、限られた大切な人たちの「嬉しくなる」こそが、一番の望みだからだろう。


ただ大学の教育は立場上、成長結果を残すという命題と共にある。

ので、彼らが上手くなればなるほど僕自身手応えを感じることはたしかだが、じゃあどこまでなればというと、これはゴールがない。

そもそも大学期間で完成するものでもない。

よってその都度その都度の成長に対し、どれだけ的確なことが貢献できたかの研究の日々になるが、「きりなく完成しない」のなら、やはり成果主義という感覚になり切れないのです。


僕自身がそうであるように、変われた自分に大きな喜びを感じるから未来へと進めるのなら、彼らに最も必要なのはその喜び、つまり

「嬉しくなる」

ということのような気がします。

posted by take at 16:21| 活動報告