2022年08月15日

ちゃんと広げて、うまくまとめる


人生とは「広げた後まとめる時間」だなあと思う。

親から生まれてきたときには「そこ」しか知らない、極めて狭い世界を生きる。

知識を得ていったり、様々なことができるような能力を身につけていくにつれ、どんどん世界を広げていく。自動的に広がっていくとでもいうか。学校へ行って友達ができること、部活動なんかも個人的にググッと広がりが増すアイテムだ。

僕の場合、大学入学のため上京してからは、それまでよりも大幅に広がりが加速した。

見るもの聞くもの、行動範囲から経験すること、求められることや責任を持たなければならないことまで、成人になる辺りを機に、毎日のようにダイナミックに広がり続けた。

今思い出してみても、とてもエキサイティングで刺激的な日々だったと思えるのは、とにかく僕の人生がノンストップで広がっていったからだろう。



就職し仕事をし、結婚もし更に家も買い、どんどん年月が過ぎていく。

どのタイミングからだったのだろう、僕は自分の意思で広げるのをやめ、そしてまとめ始めた。

直ぐには自覚はなかったが、しばらくときが流れてから「ああ、もう広げたいという気持ちではなく、できればいくつかの大事なことだけにまとめて、それを深めていきたいなあ」と思っていることに気づいた。

どこが方向転換のタイミングだったのかは分からないが、でも「自分の能力を、本気で理解できたとき」というのがそうなんじゃないかと思う。

自分に向いていること、向いていないことの正確な理解。諦めでもあるし確信でもあるし。これ以上あれこれ広げるとパンクするだけとわかることも。

誰がが言っていた「ひとりの人を物凄く好きになることが、人間にとって最も大事なことだ」というのは、いつかからは博愛的愛情もひとつにまとめていくべきだと言っているようにも聞こえる。

1日は24時間しかないし、一年はそれが365回繰り返されるだけ。

限られた時間は、まとめたいくつかの柱を大切に深めていく、そうやって完走したいと。


これはもちろん、人生の前半である程度広げなければ、そんな気持ちにもなれなかったりするのだと思う。

年をとってなんか物足りず、なんかやり切れてないと感じたり、とにかく第二の人生で第一以上に充実したがる人というのは、あまり広がらなかったか、うまく広げられなかったかなのだろう。

そういう意味で、若いときにはやれることは、やれるだけやってみるのがやはりいいのだろう。その都度自分の趣向と照らし合わせることができる余裕があるなら、とにかく広げてみることだ。

そうすれば、ある瞬間から「もうデパートであれこれ見ながら買い物しなくても平気」になってくる。若い頃あんなに興奮していたのに‥

それはワクワクしなくなることでもあるのだが、結局「何かがわかってきたから」なのだろう。

そうしたら、後の人生は自分の時間がいいように進み、いい感じで気持ちよく埋まるために、まとめればいい。

ちゃんと広げて、うまくまとめれば、最高の人生が完結するのだと思います。

posted by take at 15:28| 活動報告