2022年08月03日

勝とうとしないという愛


世の中には、性格や趣向、価値観など人間性においても、更に能力においても、そもそも性別においても「本当に様々な人間がいる」と、もう既にかなり理解できているのに、それでもまだ不満や文句、口撃、差別や制裁で「我こそが統治しよう」という愚かしい気持ちになってしまうのは、やはり

「自分は間違っていない」

ということをアピールし、確認し、なんとかして生き抜こうという性というか本能というか、うまく発動できれば問題なく多くの幸せを呼ぶそんな本音が、残念な形で現れてくるからだろう。

誰も統治されたくないし、論破どころか諭されたくないし、認めて欲しいのは全員一緒。

自分こそが正しいということを言葉の武器とし、相手をなんとかしてやりたいというのは、ただ「我が正当のアピール」でしかない。

間違いなく相手のためではない。

社会には弱者はいるし、そもそも大人になる前の未成熟な子供もたくさんいる。

全ての人にエゴはあるし、実は尊厳の話をすれば権利もある。

その現実を考えながら、結局エゴの話になればそれを否定し切るのではなく、それに勝る「無勝の愛」がどれだけ沸くか、それに尽きる気がします。

posted by take at 11:08| 活動報告