2022年08月02日
先生と生徒
「先生と生徒の関係とは、有識と無識という階級関係では成り立たない」
(寺山修司)
「自分は知らないから、教えてもらおう」は師弟関係の話にあらず。
「こいつは知らないから、教えてるんだ」は師弟関係のことではない。
そういうことだ。
では、どういう関係だと成り立つのだろう?
実は、肩書き的立場としては先生と生徒、師弟であっても、真の関係の意味は各々にとって違う。
生徒の立場としては、欲しいものがあり、それをゲットできるきっかけやチャンスとして、先生の存在に有難い何かがありそうだということ。実はその程度。その有難そうな何かが利用できれば、そこで初めて「良い先生と生徒」という関係が派生するし、利用しなければ「肩書きだけの無益な関係」にしかならない。
先生の立場からすると、気持ち的には「仕事」であれ「導きたい」であれ、それ以上に「目の前の生徒を研究したい」が湧き上がり勝れば、そこで初めて先生になれる可能性が出てくる。生徒が上記の利用型の人であり、それに相応しい成長があってやっと先生になれるようなもの。
つまり寺山修司の言葉のように知識の有無による上下どころか、各々の生き方によって先生や生徒になれる可能性がようやく出てくるものだし、良きものが合致しないと、そもそも師弟には遥か届かないとなる。
それは先生でも生徒でもなく「ただの二人の人間」なのだろう。
posted by take at 10:32| 活動報告