2022年07月06日

寺山修司の言葉 その1


『振り向くな、振り向くな。後には夢はない』



そうだ!そして、なんと励みを生む言葉だろう。


私たちがいつも心から欲しがっている「夢」は、確かに後ろには既に存在していない。

忘れていたのかわかっていなかったのかはわからないが、この言葉が、未来こそが素晴らしいのだとはっきりさせてくれる。

僕にとっては、これからこそに重要な言葉でした。

posted by take at 11:06| 活動報告

2022年07月05日

なんこやの限界


夏休み中になんこやにて「夏のトロ祭り」という企画を立て、楽聖たちと勉強&遊ぼうとしているのだが、OBの一人に声をかけたら

「夏のトロ祭りってことは、夜は先生の奢りで大トロですか?」

と返ってきた。

「なんこやで大トロを食べるのがまず不可能と思われる」と返しながら、ふとかつての生徒とのやりとりを思い出す。実話です。


楽聖(女子・真顔)「先生、いつか白馬に乗った王子様が私を迎えに来てくれるんです星2︎」

たけポン「どこに?」

楽聖(満面の笑顔で)「みなみふるやです!」

たけポン「んー‥‥あのね、なんこやに白馬はいないなあ。僕も長く通っているけど、見たことない、ていうか馬自体がいないね」

楽聖(少し悲しげに)「‥え、そうなんですか?」

たけポン「そーねー、そもそも日本は王制じゃないから、王子がいないよねえ(なに真面目に語っとるんじゃ)」

楽聖(しばらくくらい顔をしていたが、パッと明るくなり)「でも私が待っていたら必ず来てくれます(ニコニコ〜)凄くイケメンの王子様なんですっ!!」


彼女、元気かなあ〜?

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2022年07月04日

遠いと遠くないの間(冷静と情熱の間風)


なんこやは‥‥近くない。

でも通わなければならない以上、なんとかして「遠いなあ」と感じずに済むように、何かしらコントロールしなければならない。

遠距離通勤をしている人は皆そうだろう。連日通わなければならない以上、工夫して「遠くなく感じる」よう何かをする。

よく思いがちなのが、平和な日本よろしく「寝る」。夜中寝られないとき「明日の通勤のとき、電車の中で寝れば大丈夫さ」と考えるが、夜中寝られない時は電車の中でも寝られない。あらゆる日常、なぜか爆睡したりなぜかガン起きしてたりするもので、これは自分でコントロールできない。

「音楽を聴く」。問題なのは、結構電車の音が大きくボリュームを上げてしまうため、耳に良くないこと。でも気分と曲(練習録音など)が合致した時なんかは、あっという間に降車駅に着く。なんなら何駅か乗り過ごす。

「スマホを見る」。ほぼ全員そうしている。

「ゲームをする」。僕はしない。

「ブログを書く」。今書いている。なぜなら溜めているから。


とにかくこれまた実際には存在しないもので概念ですから、生徒の成長のため横移動に励むわけです。


そっか。一番は目的ですね。

行って何をするか。

それに対する思い次第で、通勤は遠くなり、そして遠くなくなるのですね。

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2022年07月03日

暇と多忙の間(冷静と情熱の間風)


暇が無いくらい忙しいと辟易としてしまう。

身体も心も「休んでリフレッシュ」が出来ず、生産性のために多忙になっているようで集中力を欠きそうなってない気もし、とにかく休みたいと。


しかし「暇だなあ」と感じるなら、それは更に辛く感じたりもする。人生の無駄遣い。充実ってどんなんだっけ、このままずっと暇だったなら、なんか人生終わっちゃいそう‥‥


暇には感じず、しかし暇が無いくらい忙しいと感じるわけではない。つまりいい感じで充実して時が流れている。

どこら辺にボーダーがあるのでしょうか?


「暇」とか「忙しい」は時間の話ではなく、結局内容のことになるのでしょう。

とすれば、暇や多忙は実際存在するものではなくただの概念であり、全ては自分のプログラミングと、先手に出ながらこなしていくテイストの計画性、そして「人と会う会わない」の時間的バランスだと思います。


あと、よく寝、よく食べ、よく飲み、よく育つですかね。ハハハ ( ̄∇ ̄)

とにかくよく笑うことですね。


そうすると暇が居なくなり、多忙に感じなくなる。


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2022年07月02日

献身


ドラマを見ながら、涙が流れたり、ジーンと感動したりしている。

一体何を見て、何にそんなに心が影響を受けているのか。


あらゆる状況で多岐に渡ってはいるものの、共通しているのは、


献身


それは 


登場人物の献身、演者の献身、脚本(家)の献身、流れている音楽の献身(作品、作曲家)、製作者の献身‥


何かしらこれらの献身に、とにかくほだされるが如くグッときてしまう。


人間というのは、シンプルに「我が身を捧げるくらい一生懸命」という姿勢ににこそ弱いものだ。


逆に言うと、一生懸命じゃないものからは、どうやっても感動しないとなる。単純な話だ。

posted by take at 11:16| 活動報告