2022年07月16日
僕の変化
僕自身はこの一年を振り返ると、いつも以上にかなり変化した印象です。
トレーニングのパターンが物凄く変わったので。それに合わせて自分の中での理屈も変わりました。
一年前にどんなことをやっていたかを覚えてはいますが、それでどのように吹けていたのかは正確には思い出せない。
正確には去年の8月中旬からですが、それまでとそこからでは、それこそガラッと変わったと思います。
そして今年に入ってからも、どんどん変化し続けている。
ここ最近は、生徒たちも全員で大きな飛躍を遂げつつあります。もちろんまだまだもっともっとですが、なにが興奮するかって、彼らの目に見える変化ほどエキサイティングなことはない。
自分の変化は当然嬉しいが、彼らの変化はなんだかもっと嬉しい。
なんとかして信じられないくらい変わって、驚くほどの音と表現ができていけるよう、ガラッと変わってほしい。
そのためには、僕自身がもっと知り、もっと変わり、もっと生まれ変わらなければならない。
posted by take at 15:13| 活動報告
2022年07月15日
養老孟司さんの言葉 その4
「知るということは、自分がガラッと変わること」
ガラッと変わるそう。
あまりそう思ってないですよね。ほんの少しマイナーチェンジしたかなくらいの印象しか持たない気がしますが、実はガラッと変わってるんだよと。
自分にとって「知れると嬉しくなること」を知ろうとすることが大事かと思います。
その方が連鎖させたい意欲が癖にまでなり、変化に拍車がかかる印象。
実際よく変われるのなら、どんどんガラッと変わりたいですね。
「知るということは、自分がガラッと変わること」
ガラッと変わるそう。
あまりそう思ってないですよね。ほんの少しマイナーチェンジしたかなくらいの印象しか持たない気がしますが、実はガラッと変わってるんだよと。
自分にとって「知れると嬉しくなること」を知ろうとすることが大事かと思います。
その方が連鎖させたい意欲が癖にまでなり、変化に拍車がかかる印象。
実際よく変われるのなら、どんどんガラッと変わりたいですね。
posted by take at 14:53| 活動報告
2022年07月14日
養老孟司さんの言葉 その3
「人はなにかを知り、なにかを忘れ、生まれ変わり続けている」
養老さんの言葉からは「人は同じではなく常に変わるものだ」という印象を受けることが多い。
もちろん長い人生を振り返ったとき「随分変わったなあ」と思うことあれば「実はあまり変わっていない」というのが現実だと感じてしまうこともあったりする。
「人ってそうそう変わらない」という言い方もあるし。
ただ養老さんが言いたいのは、性格や人間性のように変わらないと言われがちなところの話ではなく「実はいっ時も同じじゃない」と伝えたいのだと思う。
だから過去を振り返って判断することは意味が無いし、逆に未来にはあらゆる可能性がある。自分は変われないと思ってしまうのではなく、新しく知ったことや場合によっては忘れてしまえたことにより、常にフレッシュでいられるんだよと。
だから前だけを向けと。
posted by take at 14:29| 活動報告
2022年07月13日
養老孟司さんの言葉 その2
「自分だけの考え、自分だけの理屈、自分だけの感情、そんなものがあったところで、他人に理解され、共感されなければ、全く意味を持たない」
ということは、理解され共感されることを第一条件に我が信念を求めていくべきだし、そうならないからと言って自己満ストレス発散風発信だったり、「一人でいいからわかってくれりゃいいんだよ」と開き直るようでは、世の中的には意味が無いということなのだろう。
本人にとっては意味があるのかもしれないが、養老さんは全く無いと。
つまり、パンを独り占めするのではなく皆に分配して食べるように、意見や理屈や感情も、本来周りと共有するものなのでしょう。
「共有できることこそを、自分の思考としなさい」と言っているともいえますね。
posted by take at 14:19| 活動報告
2022年07月12日
大きく広がって
「小さくまとまるな」という価値観はとても大事で、若者にこそ投げるべきだということに異論を挟む人はいないだろう。
しかし現実的には、そうは思いながらも小さくまとまっていないことを要求していないかったりする。
なんならそんなつもりはなくても、結局小さくまとまってしまう方向への教育をしていたりする。
なぜなのか。
それはやはり、小さくまとまっているの反対、つまり目指すべきものの具体性に対する理解の浅さだろう。
小さくまとまっているの反対とは、ズバリ
大きく広がっている
だろう。それこそを求めるべきだ。
何がどうなっているのが大きくて、どうなっているのが広がっている状態なのか。
実は、それこそを考えるべきなのだろう。
「小さくまとまるな」という価値観はとても大事で、若者にこそ投げるべきだということに異論を挟む人はいないだろう。
しかし現実的には、そうは思いながらも小さくまとまっていないことを要求していないかったりする。
なんならそんなつもりはなくても、結局小さくまとまってしまう方向への教育をしていたりする。
なぜなのか。
それはやはり、小さくまとまっているの反対、つまり目指すべきものの具体性に対する理解の浅さだろう。
小さくまとまっているの反対とは、ズバリ
大きく広がっている
だろう。それこそを求めるべきだ。
何がどうなっているのが大きくて、どうなっているのが広がっている状態なのか。
実は、それこそを考えるべきなのだろう。
posted by take at 15:37| 活動報告