2022年06月14日

落ちこぼれを出したくない


僕はできうる限り横並び教育ではないものを目指しつつも、落ちこぼれを出したくない気持ちが強い。

大学に楽器を学びにくる若者のスキルはまちまちで、それぞれ抱えている問題もバラエティだ。20年以上研究をしてもまだなお、なぜそうなるのか、なぜできないのかがわからないパターンも山のようにある。

しかし「できる理由」「できない理由」というのは必ずある。絶対端的に表現して箇条書きにできる原因というのはあるはずなのです。

「いやあ吉川さん、学生が不真面目で練習しないだけですよ」「そもそもそそこまで好きじゃないんですよ」「どうやったって根気がないだけですよ」「性格性格!」「才能才能!」と言われても、そのことにも原因があると考えています。


僕自身にも「時間をかけずに出来たこと」「時間がかかったが出来たこと」「今なお出来ないこと」その全てになぜそうなのかという理由があるはず。

僕の教育というのは、自分含め学生全てが抱えているそんな「理由」を理解する旅なのです。


よく吹ける学生が「なぜ既にそう吹けるのか」、そして吹きあぐねている学生が「なぜそれが出来ないのか」を正確に理解し、それをまとめ上げることこそ

「トロンボーンを正しく吹くためのバイブル」

になるわけで、その集大成としての完成を夢見ています。


最初に書いたように学生たちの持っている問題は様々で、そこに対して過去の症例から得たパターンを提案し改善されるならいいのですが、そうならない場合、やはりその原因の究明が必要になる。

更に「なぜそうなるのか皆目わからない」というような、激しい違和感もあったりする。これは「僕自身がなぜ自然に出来たのか」と同じくらいくらい解明が困難だったりする。

医療の世界における、治癒を克服できている病とまだ研究途中にある病、更に完治は困難な病が混在するフィールドというのと全く同じ。

それでも全ての症例に必ず原因と言える理由があり、それの理解から「自由に吹けるようになる道」という完治への可能性を、自分自身が解りたいのです。


僕が一人も落ちこぼれを出したくない理由というのは、そういう理由からです。
    

posted by take at 10:47| 活動報告

2022年06月13日

男女はこうよ、均等不可能法


女性コミュニティの情報スピードがインターネットより速いというのはよく知られた話である。

その速さは驚異的である。


A子とB夫が別れたら翌日にはもう全員が知っている‥‥いんやいんや

別れた数分後には‥‥いんやいんや

別れ話をしに家を出たあたりでもう‥‥いんやいんや

正確には「A子とB夫、別れたらしいよ」の3日後に二人は別れるのである。実際に別れる3日前にはもう既にその事実が共有されているというスピード感だ。


ん?

つまり、女性というのは予言者でもあり、その言葉の方向へ世の中を仕向けていくくらいの能力の持ち主。そのスピードと実力は、インターなネットでもまだまだ足元にも及ばない。


そして男というのはこのような機能を全く持っておらず、昨日あった事実を数週間後に「昨日、こんなことがあったらしいよ(ディテールが違っていたりする)」と話す程度の機能で、予言どころか復習も正確でないという。

そんな程度の復習だから、復讐も女性より苦手となっている。

このブログも完全に遅刻な毎日になってしまっていて‥‥

posted by take at 17:38| 活動報告

2022年06月12日

日本映画


マイ・フェア・レディをもじって「舞妓はレディ」という映画が作られて2014年に公開されていた。

駄洒落なのだが、語呂センスと日本は京都の舞妓さんがレディという意味が明瞭なことが素敵で、なんだかいいなあと。

で、往年の名作を同じようにパロってみようとしましたがなかなか難しいもんです。とにかく外国作品を日本っぽくしてみました。


「相馬の球児2」(ローマの休日)福島球児物語の続編

「数珠使い」(十戒)住職のテクニカルムービー

「入試寝る間身体椅子」(ニューシネマパラダイス)椅子に座りっぱなしの受験戦争映画

「あら!ピアノ!!猛練習」(アラビアのロレンス)娘と母のコンクールチャレンジストーリー

「芭蕉」(慕情)松尾芭蕉の生涯を描く

「遅延」(シェーン)会社に送れるサラリーマンの悲哀、リモート時代なのに

「ジャズ上手」(ジョーズ)日本のジャズ草分けストーリー

「五反田イズム」(モダンタイムス)最近なにかと話題(?)の五反田が舞台

「遅い丼、あ、土瓶茶」(ポセイドン・アドベンチャー)なかなか丼が来ず、お茶ばかり飲んでいる

「六本木〜」(ロッキー)六本木クラスの前作

「あたしが買おうか?」(嵐が丘)買い物ムービー

「伊予ブラヴォー」(リオブラヴォー)愛媛広報映画

「電波〜」(ベンハー)スマホの電波状況ストーリー

「音、琴、音、名」(男と女)琴における音名の話

「栃木用」(卒業)U字工事

「三十路たちの沈黙」(羊たちの沈黙)人間が落ち着く話

「押上泥棒」(おしゃれ泥棒)押上で事件です

「スタァ魚津」(スター・ウォーズ)富山のローカルスタァの話

「良い茶」(ET)千利休物語


うう‥‥やっぱり難しいのね。センスの良さって。

posted by take at 16:23| 活動報告

2022年06月11日

丸み


先日書いたある人の言葉。

「響きに刺されるより、響きに包まれたい」

という価値観。この「刺される」を、ずっと考えてしまう。

どのような要素が刺さって聴こえるのか。なぜ鋭利になってしまうのか。


名手でもそうなりうるという今回の話。具体的にはフォルテ以上の音量の話だと思う。

「よく鳴る」というのはもちろん良いこと。それだけ振動が細かく金属を響かすことができるのだから。しかしその際、音の輪郭に丸みが足りないとそういうキャラクターになるのだろう。

この丸みというのは、倍音の捉え方が大きいと思うのだが、スムーズさにかまけて(というと変な表現だが)送りたいだけ送ってしまうと、透明度にだけ貢献する倍音ばかりになり、丸みがなくなり鋭利なテイストになる気がする。

つまり「送りすぎない」という意識も、どこかに必要なのだろう。

丸みというのは、艶にも貢献する部分。

人間の優しさも「丸くなった」と語るが、やはり感覚に対する美意識には必要な部分なのだと思う。

うどんの麺にエッジがあるったって、全ての物質の中では圧倒的に丸みである。

posted by take at 16:21| 活動報告

2022年06月10日

勝利への着火者


「私にとって最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです」と語ったオードリー・ヘップバーンのエピソードは有名。

あまりに美しく、そしてオードリー・ヘップバーンであることを世界中から求められたことからの脱却ができた瞬間を語るものでしょう。


若い頃、社会と繋がり始めてからしばらくは、全ての人が多かれ少なかれ自分を着飾り表現することになる。

「正しい大人、正しい社会人」でいなければならないと、誰かにやれと言われたわけでなくとも、とにかくそれまでの自分と違う言動で評価されようとする。

そうやって「ありのままの自分」とかけ離れていき、そして苦しくなり疲れていってしまう。


ヘップバーンがこうなれたのは、間違いなく特別な彼女だけの理解者の存在があるのだと思う。

「そのままのあなたでいいんだよ」と言わんばかりに、自然体でいられるように振る舞える相手なしには、この境地には到達できない。


ある意味人生の目的にもうつるこの「完璧とも言える理解者との出会い」のためには、なによりも自らが、大切な人に対してその存在であろうと努力し始めることからスタートする。

そのとき必ず向き合うことになるのが、ヘップバーンの言う相手の欠点。それを受け入れて認める。なんならその欠点があるからこそ素晴らしいとまで感じながら認めたりする。


それができるようになった頃には、世の中に欠点の無い人なんかおらず、誉められるような人間性とのセットとして誰しもが持ち合わせているものだと深く理解できてくる。

そしてその懐からのコミュニケーションが溜まった頃に、目の前に自分の全てを理解してくれているのではないかと思えるような人が立っているのだろう。

全ての楽、全ての幸福は、やはり自分からスタートさせるべきものだと、強く思う。

posted by take at 15:45| 活動報告