2022年06月19日

感じようとした人ほど‥‥


「人は絶対同じ絵を見ることはできない」と言った人がいる。

国立西洋美術館の常設展が見る度に違って見え、しかも今回はこれまでとかなり違って感じたことで、この言葉を思い出す。


その時その時の自分の感情や状態が違うというのは大きいが、やはり回数見たことが自分の中に溜まっていき、自分自身を変えているというのは確かだ。

そういう意味でも養老孟司さんの「人間は川のように流れ移り変わる」というのは、思ったよりそうなのかもしれない。

私たちの心の中には、変わりたいだけでなく変わりたくないという気持ちも混在しており、経験やそこから派生した思考、身体の代謝などがあれど「自分は自分!それは変わらない」と思いたがっているところはある。

ただ「経験をする」というのは人間の能力として本当に素晴らしいことで、そのことにより変わっていっていることは、思ったより大きなことなのだろうと思う。


「人は絶対同じ絵を見ることはできない」

その絵の前でより多くのことを感じようとした人であればあるほど、顕著に違って見えるものだろう。

そういう意味で、自分の音を常に新鮮に感じるくらい変えていきたいなら、我が音の前に立ちながらどれくらい感じようとしているのかこそが、物凄く大きいのだと思います。

「人は絶対同じ音を聞くことができない」のだとしたら、常に惰性の反対に立つことこそをやろうとしなければならない。

posted by take at 14:32| 活動報告

2022年06月18日

弾力の感じ方


うどんのコシという弾力は、歯や歯茎、唇や口内のあらゆる場所、喉などで感じること。つまり触感という現実的な感触であり、概念ではない。

ただ「音に弾力」と言うと、その聴こえてき方から丸みとある程度の質感を感じるという、少々概念っぽい感覚になる。

音が完全に開ききっており、つかみどころないくらい散り広がっていたら弾力というイメージにはならないだろう。

だからといって「詰まっている」という印象だとこれまた弾力とは違うイメージになる。

それなりの密度が広がりと距離感を持って放たれるというのが、音の理想だとして、丸みと「飛ぶ」という感覚を得ようとしたとき、演奏家自身がゴムや踏み切り板のような弾力を感じようとすることは大事だと思う。

実はそれは、口元に派生する息を送った時の抵抗感で直接感じることができるものだと思う。

そこに関しては概念ではなく、直接的な感触で測れるものだが「スムーズに流れる息」と共に、特に意識すべきものだと思っています。



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2022年06月17日

養老孟司さんの言葉 その1


養老孟司さんの言葉は、とても興味深く入ってくる。


「人間を構成している成分は約一年で約90%入れ替わる。人間は川のように流れ移り変わる。本当の自分など存在しない」


他の方々の言葉と特に違って感じる「人間は変わる」ということの強調。

「私は幸福論など語ろうとは思わない。むしろ馬鹿げているとさえ思っています。だって、今思っている幸せと、後から思う幸せとはまったく別だからです」とも語っているように。

どうせ変わるのだから今の自分に固執しないで、執着したり決めつけたり、わかったような気になったりしないで、もっと自然に流れていきましょうと言っているように聞こえる。


興味深いのは、90%というのは身体のことなのか、それとも頭の中も実はそれくらい変わってしまっているのか。

普通に考えると、一年前と比べ頭の中が9割も変わったとは思えない。だから細胞含め身体という存在のことであり、実は生命体としての存在が入れ替わってしまっているという話だと思う。

決して変わることのない確固たるもの、彼のいう「本当の自分」というのは存在しておらず、場合によっては気持ちや状況も運命のように如何ともし難く変わるのが現実。幸せですらそうだと。


ただ、こう語るのは彼から見て多くの人が現在の自分に執着とも言える「絶対性」を感じているように映るからだろう。

実際そう。

こう言われても、変わらない自分がどこかにいて、でも細部がいいように変わっていくことを望んでいる。


頭の中の現実とはどうなのだろう。

この一年で確かにとてもたくさんのことを経験した。

一年前の自分とは随分変わった気もするので、戻りたいかと言われれば戻りたくはない。


来年の今頃も、今とは大分違っているのだろう。

もしかしたら9割変わってしまっており、残りの1割が変わらない性格や人間性、価値観や哲学なのかもしれない。

とにかく、なにかがほとんど入れ替わってしまうようだ。

posted by take at 13:24| 活動報告

2022年06月16日

男力(だんりょく)


男力(だんりょく)とはいったいなんなのか。

「え〜、じょしりょく力高い〜」という言葉はそれなりに聞くが

「だんりょく高いい!」というワードは聞いたことがない。というか存在していないだろう。

聞くとすれば「男らしいねえ」「男の中の男だねえ」、更に「女々しいやっちゃなあ」辺りか。

僕は「女々しい」というのは大概酷い表現だと思っているが(金爆の女々しくてなんて、なんちゅうタイトル、歌やと!)それ以外「男らしい」「男の中の男」辺りは女子力と比べ今ひとつ具体性に欠けている。

腕力でないことだけは確かだ。

お婆ちゃんが言う言葉

「男の子は弱虫だから強くなりなさい。女の子は強いから優しくなりなさい」(だっけ?)

だとして、なにがどう強いのが男力なのか。


とにかく守ろうとする強さ

我慢できる強さ

無償の愛を持つ強さ

先を見据えて今を判断する強さ(直情的にならない強さ)

イライラしない強さ

なんでも言葉にしない強さ

でも言うべきときは言う強さ

行動で示す強さ

面倒臭くても清潔にする強さ

目的を持つ強さ

計画を立てる強さ

学ぼうとする強さ

妄想する強さ‥‥


うわあ、こりゃ大変だ。


でも諦めない強さ。

posted by take at 12:51| 活動報告

2022年06月15日

弾力


絵の構図の話

「丸いものは人を安心させて穏やかな気持ちにさせる。

尖った、例えば三角形や尖った形は人を緊張させる。

ものの形が人の心理にあたえる影響が大きい。それがわかって画面構成をするべきだ」


「テンション張りすぎ」「響きに刺される」という言葉が、その後の考察を深くしている。呟いてくださった方に感謝感謝だ。

なぜそうなるのか。「丸みの不足」ではないかと書いた。

更に「弾力」を感じることが重要だと考えます。


音の世界はとても複雑。

美しくいい音だなあと感じるのはどの要素なのか、そしてどうすればそれが得られるのかというのは、言葉にできる部分と、圧倒的に言葉にできない部分がある。

柔らかくすればいいのかといえばそれだけでは済まない。

張りを持たせるというのはある意味の「固さというものの持続」だと思うが、それを注入すればいいのかといえばそれだけでも済まない。

柔らかさへの追求というのは「ボケる」という境界線を持っており、張りもある点を越えると「うるさく刺さる」となってくる。

艶やかにクリアーに聞こえるというのも、柔らかくすればそうなるのか、はたまた張りを求めればそうなるのかというのは一筋縄ではいかない。


ここにきて重要だなと考え始めたのが、そんな複雑なあれこれの真ん中あたりに弾力という感覚があるのではないかということ。

柔らかくもありながら、どこまでもふわふわふかふかではなく、反発するような力が内側から返ってするようなこと。

それが強すぎてもだめなんだろうなあと思うのは

「新しくできたうどん屋(讃岐)は、今まで食べた中で一番コシが強く太い。さすがに僕にはきつかった」

という書き込み。

弾力も程度問題。それは魅力になり不快にもなる。


昔から書いているが、本当に音の世界とうどんの麺はあらゆる点でリンクしまくっていると思います。

posted by take at 11:09| 活動報告