2022年06月24日

あらためて激おこ


あらためて「激おこ」を考えたい。(「プンプン丸」は今回の考察から外したい。単語として長くなるし、より不確かテイストになり、ただのギャグになってしまうから)


激おこが凄いのは、むちゃんこ怒ってるんだろうが、それを表す言葉自体が可愛いことだ。発音しても可愛い。さすがギャル語だ。

激怒り(げきいかり)略して「激いか」だったとして、これも激おこと同じ内容だが、こちらはあまり可愛くない。そして「激しいイカか?」と意味のわからない妄想を始めてしまう。


怒りは瞬発的な病だと表現する人がいる。そうだとしたら、ネガティブな意味にしかならない。

激おこはしかも「激情級怒り」であり、顔の赤さや浮かび上がってキレそうな血管、聞きたくないような凄い罵詈雑言、なんなら暴力までと、日常に登場して欲しくないものばかり。

そんな凄い悪役なのに、それを可愛く「げきおこ」と表現することで、世界平和の方向へと向かわせようという意図すら感じ始めてしまう。

今「吉川、ちげーよ」と思ったあなた。あなたはきっとプチおこ気味で、時には激おこでしょ?

ほら、そう言われてもそんなに嫌じゃないでしょ。


ギャルやJKは凄いなあ。世界平和は、やっぱり彼女らにかかってるかなあ。

基本本気の激おこで戦まで行っちゃうの、逆の位置にいらっしゃる年配のおっさんが大半。

彼女ら「激おこ〜」とか言ってながら、二秒後にケラケラ大爆笑してる。それを見ながらおっさんらが「うっせーなー」ってイラついて激おこになりつつあるもんなー‥‥

posted by take at 21:17| 活動報告

2022年06月23日

ビブラート再考


あらためてビブラートについて考えたい。

そこをきちんと理解することから、必要なトレーニングが見えてくる予感がしているのです。


ビブラートといえば「弦楽器」がやはり素晴らしい。

そんな弦楽器の場合左手でかけるので、ロングトーンがどう流れどう向かうかは、実は右手でどうにでもなる。

しかし管楽器は違う。ロングトーンとビブラートは一体化している。息のキャラクター、方向性、流れ方と、ビブラートをかけることは綿密な関係性を持ってひとつになっている。

息のセンターが方向性とスムーズさからくる向かうニュアンスを無くさない程度に息の周りを揺らせれば問題ない。しかし芯までグラグラになるほど揺らしてしまうと、その息はどこへ向かっているのかはどんどんわからない方向へ向かう。


弦楽器っていうのは良いですね。

そりゃ左右が違うことするのは相当難しいでしょうが、それでもガンガン音を揺らしながら地平線の彼方へと飛んでいくような弓で弾くこともできるわけです。

そりゃ表現力がとにかく素晴らしいとなるわね。


ノンビブラートで、遠距離到達エア的トレーニングはやはり必要だと感じています。

その上で揺らせれば問題ない。

そういう息や振動になっているかどうかは、まんま演奏家の感じている距離感こそ影響が出てるんだろう。

それがちゃんと掴めるパターンを模索中。

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2022年06月22日

自分が好き過ぎる‥


「自分が好き過ぎる‥だけの人」というのは難しいなと思う瞬間がありました。


世の中にはあらゆる趣向がありあらゆる性格がある。

現代は多様化の時代なので、自分の好み以外のことを否定するのは良くない。

しかしそうできるためには、たとえ理解が困難なくらい距離を感じる場合でも、一度相手の立場に立って見つめた上で理解を示すということが大事。

しかし「自分が好き過ぎる」のはそれこそ良いとして、それだけの人というのは、周りの困惑や不満からくるハウリングに気づかなかったりするようだ。

つまり「気づきにくい人」という印象になった瞬間があったのです。

好きじゃない=関心がない=見つめようとしない=見えない=気づけない

自分のアピールにはせっせと励む。好きだから。


自分が好き、その何分の一でも周りの人が大事で好きという気持ちは必要不可欠。

自分と同じくらい周りが大事なら、そりゃ文句なしどころか素晴らしい。

でもそういう人って「自分が好き過ぎる」って印象にならないんですよね。

posted by take at 21:10| 活動報告

2022年06月21日

全ての力を


理論物理学者スティーヴン・ホーキング氏が残した言葉


「私が人生で学んだことは

自分が今持っている力を全て使え

ということです」


シンプルだが、常に自問自答したい価値観。

「俺まだ全力じゃないから」
「私まだ本気出してないんで」

みたいな言い訳テイストを一蹴するもの。


自分の力を全て使ってそれでも成果が出ない、失敗する、負けるなら「後悔しない」ということではなく、全力じゃなかった場合

「今はうまくいかなかったけど、全力出せばうまくいくはず」

と根拠の無いない結論に逃げてしまい、開拓のための考察ができずじまいになるだろう。


じゃあ「お前は常に全力か?」と聞かれれば、そうではないと答えることになり、その実の無さに

「それじゃあ高い理想を掲げても無理だよ」

と自分に言いたくなる。

つまり有言不実行(理想思語不実行)になる。


このことではっきりするのは、私たちが憧れるような人物とは、常にそのときの力を全て使って闘っている人だとなる。

posted by take at 14:10| 活動報告

2022年06月20日

最強老


熊川哲也Kバレエユースの宣伝。そのコピーとして


「若さって、最強だ」


ときた。

そらそうだ。

続けて「才能あふれる若者たちの輝く今”を見逃すな」と。


今までなら、これらのコピーを特別視はしなかったと思う。この内容のイベントなら、まさにこういうコピーだろうし。


しかし今の僕は「若さって最強だ」にクレームをつけたくなってしまう。

そりゃ若さの素晴らしさはよくわかっている。可能性の宝庫であり、頭の柔軟性もや恐ろしく湧き上がるようなエネルギーが派生することがある世代であることも。

そしてこのバレエという世界が、いくつかのスポーツと同様に、凄く長くは一線でやることが難しく、低年齢層の飛躍が常に世の中に驚愕と歓喜を与えるものだと、これまた理解した上で‥‥


やはり本当は経験値の高い年齢を重ねた世界こそが「最強」であるべきだと思う。

人間だからこそそうでなくてはならないと、理想を叫ぶ意味でも強く言いたい。


「若くないって最強だ」


と。

posted by take at 14:47| 活動報告