2022年05月25日
金属を育てる
とある打楽器の名手が、金管のこれまた名手に対してした質問が、大変興味深い。
「金属を育てているみたいな感覚はありますか?」
育てるかあ‥‥
一番最初に浮かぶのは「金属疲労」。つまり育てるというより、衰えていく方の感覚。
そして「慣れていく」というのはあれど、育てていくっていうのは考えたことどころか、浮かんだことすらなかったなあと。
じゃあ金属疲労があるとして、新品の時が一番元気で、後どんどん下降しているのかと言われれば、そうも思っていない。
人間の身体。延命が進歩し平均寿命が伸びても身体的には二十歳まで育ち、あとは長い時間かけて下降していくのだと聞いたことがある。
そういう意味なら、しばらく吹き込んで新品感がなくなり慣れたなあと思うところまでは「育ててる」と考えてもいいのかもしれない。どれくらいの期間なのかはわからないが。
同時に私たちの場合、楽器だけが育つのではなく、自分も共に変化して「良いペア」になるためのプロセスなのだと思う。いい夫婦になっていく関係性みたいな。
「金属の分子配分が変わっていく」という意見には「それは無いです」と言うリペアマンもいるが、分子かどうかは定かでないとして、吹き手によって楽器の鳴り方が変わることは確か。
ベッケやアレッシが吹けば、下手な人の楽器もいい音が出てよく鳴るようになるだろうし、彼らの選定品やなんなら彼ら自身の楽器を吹かせてもらい「吹きやすいです!」と感激しても、もしその後下手な人が吹いていったら冴えなくなっていく可能性もあるだろう。
弦楽器なんかもそれまで弾いていた人の癖は、鳴りでわかるそう。近いポジションを多用していたか、はたまた遠いポジションをなんてのも、受け継いで直ぐは癖が残っているそうです。もちろん弾いていくうちに、自分の癖がついていくと。
そういう意味では、楽器は演奏家と共に育つ部分はあるのだろうし、なによりも
「誰が育てるのか」
こそが、運命を決めていくのだろう。
金管の場合、演奏家がどんな楽器に出会うかより、楽器の方がどんな演奏家と出会えるかの方が成長という結果に大きな影響があるのだと思います。
posted by take at 13:29| 活動報告