じゃあなぜ楽譜の通りに演奏できるように求められ、そうできるようにトレーニングするのか。
それは、自分が本当に思うがままに自由に演奏したものが、本当に素晴らし表現として受け入れられるようになるため。
楽譜通り、正確に演奏できるようになり、そう表現した人間だけが知ることのできる素晴らしさを知った上で、初めてできるのが、本物の自由だから。
そういう意味で、自由にやれば良いというわけではないとなる。
でも、楽譜から離れられず、自由になれないのも考えものだ。
それは自立できていない演奏家であり「あんたでなくてもいい」と言われてしまうから。
そういう意味で、楽譜通り正確にやっていればいいというわけではないとなる。