2022年05月12日

シャンシャンの気持ち


うどん県には、早くしなさいという意味の

「しゃんしゃんしまい!」

という讃岐弁がある。讃岐の田舎の良さを発信する「しゃんしゃん姉妹」というネーミングの人達もいたりする。



上野のシャンシャンの返還が再び伸びて今年の12月末になったそうだ。

日本人は100パー「このまま帰らんでもえーのに」と思っている。

大事にすべきはシャンシャン本人の気持ちだと思う。

そう思って、僕はシャンシャンに聞いてみた。


「どう?あなたは中国に行きたいの?日本にいたいの?」

「そらこのままおりたいに決まっとるやん」

「だよね。日本の笹の方が食べつけてるから、今更中国産って言われてもねー」

「そう、もう夕飯よね。さっきからずっと待ってるんだけど。もうお腹ぺこぺこなのよ。飼育員さんまだ笹持ってきてくれないの?

シャンシャンにしゃんしゃんしまい!」


親父ギャグまで日本語だったので、返さなくても良いと思う。もう生粋の日本熊なんだから。

posted by take at 17:55| 活動報告

2022年05月11日

大化け


人はどこでどのタイミングで大化けするかわからない。

大化けって、する前とした後が物凄く違うってことよね?


そういう意味で、決めつけてしまうのは違う。

自分が知っている範疇、その価値観として「この人の未来はこう」と決めつけてかかるのが人間。

特に否定的にはなりがち。「これじゃ、あのようにはならないだろう」と。


しかし人には、化ける可能性がある。

というか、自分の成功があったとして、それは全て化けたからだ。

「こいつは絶対大丈夫。必ず大成功する」という確信が最初からあったように聞こえるのは、実はよく考えてみると全て事後報告でしかない。


だから、人を見切るように感じるのは違う。

もちろん「現実を見る」ということができなければならず、それを知らしめることも大事ではある。


しかし人はいつも大化けする可能性がある。

環境との出会い、人との出会いは何より大きな渦を生み出す可能性があるのだから。

posted by take at 23:31| 活動報告

2022年05月10日

無計画、計画的


学生たちのブレスの位置が、やる度に違う。

つまり行き当たりばったり。

違う言い方をすると無計画。

この「無計画」は、気付きや上達の邪魔をする病原菌の筆頭だったりする。

意識して計画的にと投げると、ブレスのみならずいくつもの項目が洗練されていく。


結局、常に大小いくつかの計画が自分の中できちんと設定され遂行されていることこそが必須。

つまり無計画な練習、無計画な音だし、無計画な演奏というのが、最も具合が悪いこととなる。


「計画せよ」「計画的に生きよ」と言い続けなければならない。

計画的に。

posted by take at 16:41| 活動報告

2022年05月09日

食べて寝られりゃ


悲しいニュースが続く。

心を覆っていく不安というのは、他人はおろか自身にもどうにもならないのだろう。

最後は人生の喜びの方を感じるようになんとか思うしかないと思うのだが、とにかく


「ご飯が食べられて」

「寝ることができる」


それだけで実は幸せなんだと、生き物の根本に返るような感覚が必要なのだと思う。

もちろん悩んでしまうとご飯が美味しくなくなる、それ以上に寝られなくなり具合悪くなるというのはわかる。

そうなる前になんとか、食べて寝られるだけで幸せだと。


不安の根っこは、人間関係だったり仕事、お金だったりだと思うのだが、そもそもご飯と眠りを満喫すれば人間幸せじゃないかと、そこに辿り着ければ、なんとかならないかと強く願ってしまうのです。

posted by take at 16:35| 活動報告

2022年05月08日

50歳までと50歳から


これはあくまでも僕個人の印象。


60歳になると還暦となる。干支が一巡することもあり、再び振り出しに戻り改めてスタートみたいな言われ方もする。

もちろん僕はまだ迎えてないので、そのときが来たらどう思うかはわからないが、今現在感じていることは


「50歳までと50歳からが違う」


ということ。そういう意味で60歳ではなく、50歳から新しくスタートという印象。

ただそれは「振り出しに戻った」というものではなく、気持ちの立ち位置が変わった、生き方が変わったというものです。


50歳まではまだまだ先に未来があり、そのせいもあり短いスパンで計画的に生きることはあっても、人生の終わりまでを意識することはなかった。いつまででも登っていけるんじゃないかという漠然としたものに包まれていたし、目に見えない不安もあった気がする。

しかし50になってからは、どうしても「あと残りの時間」ということを意識する。よってより長いスパンで計画を立て、無理のないよう安全に進もうとする。良くも悪くも自分の力量や立ち位置がはっきりすることで、だったらどうするということは、それまでになく定まってくる。

身体や見た目の衰えや、タイムリミットがあるような感覚は一瞬残念に見えるかもしれないが、それはそうでもなく、だったらこうしようということに関しては濃密にやりきろうとする。

立ち位置は明らかに変わったが、決して残念な話ではなく人生の時間、そのタイプが変わったというものだ。


そして人生のパートナーや、今いられる環境に関してのかけがえのない気持ちは、何倍どころか何十倍も感じられ、感謝も強いし、一緒にいられる幸せ、携われる幸せを感じない日はない。

ひとりになった時間の寂しさも逆に強い。

そういう意味で、僕はパートナーは物凄く大事だと思っている。50を過ぎて、本当に2人でようやっと生きていけてるんだという気持ちが強い。僕自身はひとりというのは無理だ。


50歳までは全く感じなかったこと。

それは「本当にひとりでは生きていけない」ということ。

家人に心より感謝しながら、とにかく手を取り合って生き抜いていく。

それが今を生きる一番の目的なのです。

posted by take at 16:51| 活動報告