2022年04月27日

対等


とある女性タレントが、結婚直前の大喧嘩について語った記事を見た。

「わたしは対等な関係でいたい。対等じゃないと純粋なる好意で繋がっていられないと思うからだ。庇護される立場にもなりたくないし、後ろめたさも抱えたくない。ルールも役割分担も決めてないが、ここに関しては常に意識していることだ」


この「対等」ということを特に意識している人の言葉を何度か見たことがある。交際相手、結婚の第一条件として語られるのも見た。

上記の人は、両親が対等ではなかったと語っている。子供の頃からその違和感が刷り込まれ、自分の人生においても、パートナーと対等ではないとなってしまうことが想像できるからだろう。

ただこのことにとらわれ過ぎると、自分自身の立ち位置も不自然になるような気もする。


僕自身は、夫婦間において感じたことがない。もしかして、家人は感じてきた、ないしは感じたことがあるのだとしたら申し訳ない。ただ記憶の限りでは、この内容で会話をしたことはない。

僕自身とにかく「対等でいたい」と感じなくてすんできたのなら、それだけで幸せなことなのかもしれない。


同時に「安心感がある」と理解しつつも、実は対等であるというのはスタート地点だと思う。

あらゆることが話し合いで改善されていくことは人生必須であり、それができる心持ちというのは、更に他の要素が必要だと思うからだ。

聞く耳を持っていること。そして根本的な強さを内在していること。これらは「対等意識」以上に必要だと思うのです。

posted by take at 12:30| 活動報告