2022年04月10日

自分の選択を喜ぶ


過去の選択を悔やむように思い返すのって、とても残念なことですね。

逆に「あのとき、ああ選択して本当に良かったなあ」と思えるなら、こんなに幸せなことはない。

そのおかげで今が上手くいっている、違うパターンじゃなくて良かったと思えるからで、それは幸運という言葉で現在の幸せを感じまくっていることになるから。


もちろんそう選択できた自分の聡明さに酔うこともできるが、やっぱり継続してきたスタンスを容認したり、応援したり、なんなら目を瞑ってくれていたりする周りの力は大きい。

その周りの力を導き出すのは何より、熱心に継続し、誠実に開拓する自分の姿勢にほかならない。


もしそれができたなら、多少一般的ではないことでも、

「嗚呼、あのときこれを選び、こうやってきて良かったなあ」

と心から思えるのでしょう。

posted by take at 18:51| 活動報告

2022年04月09日

思い


そりゃテクニックがあるにこしたことはない。

しかし

「最後はやっぱりテクニックじゃないなあ」

と思わされるマエストロ・エッシェンバッハとの共演が、コロナ禍のトンネルからの久々なる陽光のように感じられる。

というのは、やはり世界中で言われているように決してわかりやすい棒ではなく、それどころか見るとわからなくなる時も多く‥‥


なのに、出てくる音楽のなんと瑞々しく美しいことか。


彼の頭の中にある憧れを、存在だけでオーケストラに伝えようとしていると言えばさすがに言い過ぎだが、腕はニュアンス重視だったり、時にはほったらかしだったりなわけで、こちらがあてにしすぎると痛い目に遭う。

それでも「感じよう、感じたい」と強く思わされるそのノリと世界観が、オケマンたちのイメージに対する積極性に繋がりまくるわけで、そうなると、テクニックではなく、彼の憧れに対するリスペクトだなあと。


最後はやっぱりそれ。


だから「我が思いが鍛えられていく」方が、テクニックを磨くことより、結局素晴らしいのでしょうね。

技術は思いを超えられない。

思いが世界を変えていくんですわ。

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2022年04月08日

羨ましき赤子


我が赤ちゃんを語る母の投稿。

「昨日できなかった事が、今日出来るようになってばっかり。
目覚ましい成長。
見習いたいものです」


やっぱそうよね。

赤ちゃんがどんどんできていくことが増えるのは、そりゃそうだよね、そうやって自分で生きていけるようになるのよねと、生物としての人間の凄さを感じながらも当然だと理解するのでしょう。

ただ、それを目の当たりにして「見習いたい」と我がごとに投影するのは、大人になるにつれ目覚ましく成長はできなくなるから。

そして結局、その変化にこそ本能が強く憧れているからですね。


僕は昨年の夏、ふと思うところあり、反復のポテンシャルにこそ強い可能性を感じ様々試しているのですが、そうなるとやはり

「何を反復するのか」

その研究が最もエキサイティングになってきてます。


赤ちゃんのように素の状態であるからこそどんどん吸収できるのに比して、もう素ではない大人ですから、上書き反復の可能性にかけるわけですが、無駄なことを更に繰り返すとなると、それこそ人生の無駄遣いになるわけで、その逆、

限られた本命

とも言えるパターンを生み出し、大人なりに目覚ましく成長したいなあと。


赤ちゃんを見習いたいと思ったお母さんの貪欲さへの、唯一のアイデアかと。

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2022年04月07日

自己肯定的音程、リズム、そして音


やはりまずは、音程とリズムをとにかくシノゴの言わずに洗練させることだろう。もちろん音色も。

そうすることにより、ある程度「音楽的な演奏」になる。

合奏なんかは特に、それだけで質の高い表現にたどり着ける。

そういう経験値から、音楽性を磨いていくことになるのだろう。

もちろん最初から豊かな歌心を装備している人もいるだろうが、基本説得力のある歌い方には「一定のセオリー」があるのは確か。

だから、周りの力を借りながら自分が身につけていくためにも、とにかく音程とリズム、そして音色。


自己肯定感というのは「一切認められている実感のない人」には、持つのは極めて困難だろう。

それでなくても「周りを意識しなさい圧力」が強くかかる日本のコミュニティだ。

一度も褒められたことがない、少しも評価された経験が無い人には、どうやったって自己肯定は難しい。

子供の頃から自然と持っている人は、親の育て方の主軸に「認める要素」が強くあったか、自然と人から好かれるタイプ、性格の明るさが功を奏しているか辺りだろう。


では若き演奏家の卵たちには、どういう自己肯定感が必要で、どうやったら持てるのか。

「正しいやり方、間違ったやり方、そして俺のやり方」の俺のやり方で進んでいくには、やはりある程度周りからは認められ、オールマイティ的よりも個性で行くべきなんだと踏ん切れるだけの経験値(かなり時間と量が必要)がなければ無理だろう。

そうなると、やはり音程とリズムと音。

合奏や周りとの調和の中から、そこにこそ自信という自己肯定が宿ることが、最も真っ当な道筋なのだと思います。

posted by take at 14:22| 活動報告

2022年04月06日

嗚呼、音程


聞くからに音程が悪い人の話ではなく‥‥


歌う音程と正確な音程は違う。

違う言い方をすると、歌う音程というのは正確な音程ではないとなるし、正確な音程を並べても歌にならないこともあるとなる。

音程は正確だが歌が感じられない人、そしてよく歌うが音程が正確ではない人という人はそれなりにいる。

現代は前者の割合が、かつては後者の割合が多かった印象。


これらの原因を考察すると‥

音程が正確なだけの人は「正確にとることに囚われている」からだろうし、よく歌うけど‥の人は「正確にとることを必要なほど重要視しできていないから」

いずれにせよ「歌う音程と正確な音程は違う」ことを、心底理解しておくことが大事だろう。

そうして初めてそのためのトレーニングもプログラミングできるだろうから。


「つもり百選から」

正確なつもりで正確じゃないのが音程

歌っているつもりで歌えてないのが正確な音程


最後は正確な音程(究極の近似値かもしれないが)で、豊かに歌えなければならない。


だよ!俺!!わかってる⁈

posted by take at 13:50| 活動報告