2022年04月15日

幸福の実感


若いときには思ったことがなかった。

だから今の若者たちも思わないだろう。


演奏していてもそうだし、お酒を飲んだり食事をしたり、散歩をしていても


「今このときがほんと幸せだなあ」


と。


若いときには当たり前で気付かない。永遠に続くんじゃないかとすら思っている、そんな生きている時間が心から愛おしいのだろう。


これからも、ひとときひとときを大切に生きていきたい。

posted by take at 08:36| 活動報告

2022年04月14日

これからも経験したいなあ


今年でN響30年、トロンボーンクァルテットジパング24年、東邦音大22年、沖縄県芸7年、ブロカートとの指揮も含めたお付き合い24年、大槌町との関わり11年、そして家人と出会って33年。

もちろんこれら以外の活動もやってはきたが、積極的にあれこれ広げようとはせず、限られた人や内容を出来るだけ長く取り組もうと。

なぜそういう体質になったのか。

ふと思い出すことが‥‥


具体的に何がとは思い出せないが、若い頃経験したことのいくつかにとても喜びを感じ、終わった際淋しさと共に

「これ一回きりでなく、これからも何回も経験したいなあ」

と思ったりした。

更なる新しいことへの希望やワクワクがなかったわけではないが、それよりも経験できたことの楽しさを継続したい欲求の方が強かったのだと思う。

その場合、やはり自ら望んでリピートを希望しそう出来るよう努力するしかなく、そうなるとあれやこれやとは手を出せない。時間にも許容量にも限りがあるから。

何より「長く続けている先人たち」に、強く憧れたりもした。


今となっては、その都度してきた選択の中でも「増やさなかったこと」、そして「別のことへと転じなかったこと」は、良かったと思っています。

新しいことはもちろんエキサイティングな気分ももたらすし、新鮮さにも嬉しくなったりする。

今でも時々受けるそんな新しいことでも、相変わらず「これ、続けられるといいなあ」と、よく思ったりする。

依頼をいただけること自体とても有難いこと。スケジュールの許す限りに一生懸命やらせていただくが、それでもパンクしてしまわないようにしたい。


長くなった様々なことは、これからも深く長く、変わらないことは変わらず、しかし変わってもいきたい。

こんな人生の宝物はないので。

posted by take at 16:17| 活動報告

2022年04月13日

自分に噛みつけない優しさ


自分のやりたいこと、本当の夢を実現させるには、わがままになるときはなれるという気質でないと無理だ。

自分を完全に抑えてしまうことになっても仕方がないと思えてしまう人、そんな夢を叶えるには周りに優し過ぎてしまう人には、実は難しくなる機会が訪れてしまう。

人はその過程で、夢を叶えるため多少のわがままを通す機会もくるというのが、現実的なストーリーだ。


「わたしはそこまでがつがつしたくないです。我を通したくないし、人に譲ることこそが好きだったりします。柔らかくはわっとしていたい。それがわたしという人間ですから‥」と言ってしまうと、既に、素晴らしい世界が見えなくなる曇りガラスのメガネがかかってしまっているのだから。


自分自身に噛みつけない気質では、ときに吹いてくる厳しい向かい風、必ず経験することになるそんな壁の前では無意識にリミッターがかかり、乗り越えるだけのエネルギーが出なかったり、なんなら全てを諦めてしまうことになる。


全面的にわがまま、自分が良ければ周りはどうでもいいということを言っているのではない。

自分の夢という希望において、厳しい選択肢のタイミングになったとき、貫き通すような我があるような選択ができるような人間でないと、エネルギーの限界が実現の邪魔をするということ。

頑張るべきときに頑張れない。頑張っているつもりでも、必ずチャンスをものにする人ほどは、実は頑張れていない。

それはどんなことに取り組んでもそう。


「その人の夢、希望がその程度だから‥」と評価してしまえば、あっという間に話は終わる。

ただ普段から「優しいのことはいいことだけど、ときには自分本位にならなければならないんだよ」と、言うことになる人もいる。


もちろん「もっと周りに優しくなれんのか!」と、怒らねばならない人もたくさんいるのですが‥

posted by take at 10:58| 活動報告

2022年04月12日

歌い放題の一本線


マエストロ・エッシェンバッハとのマーラーの五番のリハーサルが始まりました。

ブラームスの交響曲全曲やピアノ四重奏曲、マーラーの二番、そして先週のドボルザークと、とにかく充実した演奏が約束されているマエストロ。


こんなに歌えるのは久しぶりである。

他の指揮者だと歌えないということではなく、とにかく細部に至るまで歌いきれば彼の音楽が完成される印象。

楽譜が極めて記号性を無くしており、歌いたい音楽家たちには、これでもかとなんぼでもやらせてもらえる喜びに溢れている。


そして緻密なものから大胆なものまであらゆるアゴーギグが散りばめられながら(彼の歌にとって必然なもの)、一切途切れないし止まらない。


一本線である。


慣例的に器楽的アンサンブルをする箇所のいくつかがまだ面食らっている段階だが、歌が見えれば最後はオッケーになるのだろう。

棒は相変わらずよくわからないシーン多数。ちゃんと見ると事故るタクト。

しかし描く弧がどんなにふわふわでも、ときに止まって動かなくても、前から繋がってくる歌を沸き立たせながら、それを彼が止めてやり直さなければそれこそが完成品。


オーケストラが全編歌うだけ。

幸せです。

posted by take at 20:07| 活動報告

2022年04月11日

奇特な方へ


なんと、このブログを過去のものまで読み遡ってくれている人もいると、知り合いから聞く。

「全部?」

「そうみたいですよ」

「無理っしょ。書いた自分が、整理しようとして読み始め、何度もあっという間にに挫折するほどの分量よ、10年分って」

「でも、読んでいってるようですよ」

その人の時間を相当使わせているはずなんですよね。

有難いやら申し訳ないやらですが、そんな奇特な方に、この場を借りて深くお礼を申し上げます。

ありがとうございます。

posted by take at 18:59| 活動報告