2022年04月30日
演奏も人生も終わる、その理由
「音楽が素晴らしい理由」というのはいくつもの論点で語ることができると思うのですが
「始まったら終わる」
というのもあると思います。つまりどんなに素晴らしい演奏でも延々と続くわけではないということ。ある程度のサイズ演奏したら終わってしまう。
しかも「楽しい時間は早く感じる」はここでも適用され、あっという間に終わってしまうように感じる演奏こそが素晴らしいと。(まだやってるよ〜はダメ)
惜しまれるように終わり「もっと聞きたい」「また聞きたい」と思われれば、こんなに価値あるものはないとなる。
終わるからこそ、人は再び音楽を聞く。
人間が生み出す音楽。
その意味が「人生となぞらえるから」となるなら、同じことが言える。
人の一生も楽しければ楽しいほどあっという間に感じ、辛かったりつまらなかったりすればするほど長く感じるのだろう。
「死ぬことで終わる」には良き意味があり、「幸せだった、また生きたい」と思えるような最期が迎えられれば、笑顔と共に去っていけるのかもしれない。
そして新しい人間として再び生まれてきている‥
ただそれを繰り返しているだけなのだとすれば、死ぬことには価値があり、辛く悲しいことでは全くない、となる。
posted by take at 18:42| 活動報告
2022年04月29日
2022年04月28日
うに丼食べたい
ふと思い出した話ですが‥
ある北海道出身の人が、婚約者と道内をドライブしていました。
その日の昼食は、海岸通り沿いで食べられるはずの「うに丼」と決めていたそうです。
「この先右、うに丼」という看板を見つけ、次の角を右折。少し走ると、民家風の建物の庭で、うにを洗うおじさんがいたので「うに丼食べられますか?」と。
「大丈夫だよ」という返事なので、そのまま庭に駐車し入店。
「かなりの民家風だなあ」
「奥へどうぞ」と案内されるまま、居間のような部屋へ。
「待っててな」という老夫婦からの言葉をもらい、しばらくまったりと。
しかしある瞬間、二人で同時に気づいたのだそうです。
「こ、ここ店じゃない!」
そう、民家風のうに丼屋ではなく、本当に民家だったのです。
勘違いしたことを伝えたのですが、「どうぞどうぞ」の言葉に甘え恐縮しながらいただき、お金を払おうとしても受け取ってもらえず、何度もお礼を言いながら、そこを後にしたそうです。
微笑ましくも美味しく、そして老夫婦の優しさが素敵なエピソードでした。
posted by take at 19:10| 活動報告
2022年04月27日
対等
とある女性タレントが、結婚直前の大喧嘩について語った記事を見た。
「わたしは対等な関係でいたい。対等じゃないと純粋なる好意で繋がっていられないと思うからだ。庇護される立場にもなりたくないし、後ろめたさも抱えたくない。ルールも役割分担も決めてないが、ここに関しては常に意識していることだ」
この「対等」ということを特に意識している人の言葉を何度か見たことがある。交際相手、結婚の第一条件として語られるのも見た。
上記の人は、両親が対等ではなかったと語っている。子供の頃からその違和感が刷り込まれ、自分の人生においても、パートナーと対等ではないとなってしまうことが想像できるからだろう。
ただこのことにとらわれ過ぎると、自分自身の立ち位置も不自然になるような気もする。
僕自身は、夫婦間において感じたことがない。もしかして、家人は感じてきた、ないしは感じたことがあるのだとしたら申し訳ない。ただ記憶の限りでは、この内容で会話をしたことはない。
僕自身とにかく「対等でいたい」と感じなくてすんできたのなら、それだけで幸せなことなのかもしれない。
同時に「安心感がある」と理解しつつも、実は対等であるというのはスタート地点だと思う。
あらゆることが話し合いで改善されていくことは人生必須であり、それができる心持ちというのは、更に他の要素が必要だと思うからだ。
聞く耳を持っていること。そして根本的な強さを内在していること。これらは「対等意識」以上に必要だと思うのです。
とある女性タレントが、結婚直前の大喧嘩について語った記事を見た。
「わたしは対等な関係でいたい。対等じゃないと純粋なる好意で繋がっていられないと思うからだ。庇護される立場にもなりたくないし、後ろめたさも抱えたくない。ルールも役割分担も決めてないが、ここに関しては常に意識していることだ」
この「対等」ということを特に意識している人の言葉を何度か見たことがある。交際相手、結婚の第一条件として語られるのも見た。
上記の人は、両親が対等ではなかったと語っている。子供の頃からその違和感が刷り込まれ、自分の人生においても、パートナーと対等ではないとなってしまうことが想像できるからだろう。
ただこのことにとらわれ過ぎると、自分自身の立ち位置も不自然になるような気もする。
僕自身は、夫婦間において感じたことがない。もしかして、家人は感じてきた、ないしは感じたことがあるのだとしたら申し訳ない。ただ記憶の限りでは、この内容で会話をしたことはない。
僕自身とにかく「対等でいたい」と感じなくてすんできたのなら、それだけで幸せなことなのかもしれない。
同時に「安心感がある」と理解しつつも、実は対等であるというのはスタート地点だと思う。
あらゆることが話し合いで改善されていくことは人生必須であり、それができる心持ちというのは、更に他の要素が必要だと思うからだ。
聞く耳を持っていること。そして根本的な強さを内在していること。これらは「対等意識」以上に必要だと思うのです。
posted by take at 12:30| 活動報告
2022年04月26日
なんとかしたくなるしろ
道具が楽に扱えるものになると、達者になり成果が得られやすくなるだろう。
しかし人生の時間が楽になるとは限らないと思う。
道具が楽に扱えるものになると、たとえ高品質だとしても、多くのユーザーの成果が似通ってくる可能性が高い。
道具が助けてくれる分、道具のキャラが立ち、ユーザーがそこにおんぶしたくなるだろうから。
逆に、ユーザーによって結果が変わってくる道具の特徴ってどのようなものだろうか?
楽ではなく、扱いやすさでもなく、どうにかいわしたくなるような「克服しろ」というポテンシャルに溢れているものだろう。
なんでも扱いにくいのがいいと言うつもりはない。扱いにくいのではなく、
「なんとなく簡単ではない部分をなんとかしたくなる」
それこそが、人生の時間に必要な気がします。
そもそも自分の身体がそうですね。
ずっと快調なわけじゃないし、なぜだか具合悪くなったり、気分が晴れなかったりしますから。でもいい時を知ってるから、コンディションをなんとかしたくなる。
道具も、私たちの身体くらいポテンシャルが高いといいですね。
posted by take at 16:09| 活動報告