2020年07月31日

今日から俺は!ビックバン


もう1ヶ月以上は経ってると思うが、テレビで「今日から俺は!劇場版」という映画のコマーシャルをやっている。かつての「ビーパップハイスクール」みたいな、ヤンキー高校生たちの青春群像ハチャメチャ物みたいだが、僕はこの作品全く知らなかった。

皆さんは、たとえ知らなかったとしても「ああ、テレビシリーズでやってたのの映画版なんだな」とわかるのでしょうが、高校時代まるでヤンキー感のなかった僕は、のっけからボケまくったのです。


今日から俺は劇場版?変なタイトルだなあ。どういうことだろう?

主人公が、今日から俺の人生は劇場的にイクゼって叫んでるってこと?じゃあ昨日までは何的?テレビ的?室内的?そもそも劇場的って何?映画のようにドラマチックで、スケールデカくいくぜってこと?激情版の方がまだわかるう。とにかくよーわからんわ。


数日前、ふとしたことからテレビシリーズの一部を見る機会が。それを見ながら、間に挟まる劇場版のコマーシャルを見ながら、それでもまだ気づかず。それがある瞬間

‥‥あっ‥

だ、だって、今日から俺はっ!てとこでやめんの意味わかんなかくなーい⁈

けっこう恥ずかったっす。

えー⁈俺だけ〜⁈ドラマはくだんなくておもしろかったっす。



追伸、「今日から俺はオケ出番」って日、待ち遠しいわあ。

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2020年07月30日

音のフォルム


リップスラーを録音してみるとよくわかるのは音の形の不安定さ。レミントンでは気にならないことが、ブラッド・エドワーズでは凄く気になる。まあ、レミントンもちゃんと吹けてないだけなんですが。

生徒向けにやっているが、聞き直すとまるでだめで録音し直すことに。均一、均質を徹底しようとすると、物凄く気をつけなければならない。

同時に曲を演奏したとき、この音と繋がりのフォルムを最優先し散りばめると、安定した上手さは際立つのかもしれないがニュアンスに乏しいものになる可能性もあると思う。

均一とバラエティの間、その立ち位置をきちんと見極めなければならい。安定してるけど無味乾燥にしか感じられなかったり、逆に下手な印象しか残らなかったら意味はないのだから。

いずれにせよ僕には、神経質とまでイメージするようなフォルムへの美意識を持つ必然性、いや義務を感じる。エスプレッシーヴォを結果的に不正確、不安定、乱れたフォルムの方へ流れてしまったのでは、いつまで経っても不満は払拭できないのだから。

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2020年07月29日

喜びと生きる


池波正太郎さんがルノアールについて語る映像を見た。 

「若い頃はゴッホやドラクロワが好きだったけど、年取るとルノアールが好きになりましたね。

やっぱり生まれたからには、毎日つまんなく日にちを送るってのは本当につまんないと思うんですよ。変な話、死ぬときはあっという間にきちゃうからね。やはりそのことを若いうちから考えていたら、毎日をつまんなく過ごすのはね、やっぱりつまんないですよ。私は一年のうち、つまんないなあと思うのは3日くらいしかない。そりゃ仕事の苦しみは別ですよ。そういう一日でも、なんか楽しみがないと。楽しみを見つけてね。

ルノアールもそうじゃないかな。絵だけ描いてりゃ楽しかったわけだから。いろんなものに喜びを感じながら絵を描いたんだと思いますね。彼が言う、うんざりすることだらけだからっていうのは、世間の出来事にうんざりする、そして自分の思いに技術がついていかないときにうんざりするんでしょうねえ。

こういうこと言ってますね。本当の芸術に対して近頃は理屈を言いすぎる、説明が多すぎると。本当の芸術ってのは二つあると。ひとつは言葉で言い表せないもの。もうひとつは、他人がやったものじゃない、他人のものじゃなく自分がやった自分だけのものを生み出すこと。だから、ぐだぐだぐだぐだ芸術に対して言うことを好まなかったんじゃないですか。見て、あーいいなあ、これでいいんじゃない?」

随分前の池波さんのインタビュー、そしてリュウマチで変形した手に筆を包帯で巻きつけて描いているルノアールの映像を見て、ナビゲーターが語る。

「一見痛々しいですよね。我々の観点から見ると。だけど描いているルノアールは決して不幸せには見えないですよね。なんか楽しそう。だから、創造することの喜びっていうのが、絵の中にも感じ取られるのかなあって思います。

池波さんもルノアールについて、絵について話すときの目が、とっても楽しそうでしたよね。絵を見るのも語るのも。そしてあの空間を楽しんでらっしゃいましたよね」

創造しながら楽しく生きる。人生が終わるときは、あっという間にきてしまうから。

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2020年07月28日

10年は続けなさい


三浦友和さんが、芸能界に進みたいという息子たちに「辛いことがあっても10年は続けなさい」と言ったという。

メッセージはいろんな意味にとれる。

親の七光りと言われるだろうが、10年頑張れば必ず個人として見られるようになるから。

向き不向きも10年はやらないとわからないから。

10年続けられれば、その先へ必ず行けるだけの血となり肉となっているはずだから。

伝説化した百恵ちゃんの息子と言うだけでノーマルな眼差しでは見られないだろうから、父親としてのアドバイスは本当に真剣な気持ちだったと思うが、いずれの意味であったとしても、僕にはこの「10年」がとても新鮮に感じられた。

例えば大学出てフリーでやっていく人が「30までやってダメなら考えます」と言ったりする。仕事についても直ぐ「自分に合ってない」と辞めてしまう、転職を繰り返すのではなく、しばらくは続けないととも言ったりもする。

しかし10年という具体的数字は、意外に聞かないものだったから。

何に取り組むにしても10年はやってみな。すると本当にはわかることがある。それは、それより早くに諦めてしまったらわからなかったりする、と言っているよう。

10年は短くない。それだけ取り組めたなら、三浦友和さんのメッセージから想像したこともだが、自分の人生の中における価値がわかってくる。

そんな意味にも感じられて、ある意味とても説得力のある指針だなあと感じたのです。

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2020年07月27日

綺麗ではない、しかし美しい


何十年も前の映像だが、岡本太郎さんがピカソのゲルニカの前で力説しているものを見た。

「これはすこしも綺麗じゃない。しかし綺麗じゃないからこそ美しい。綺麗っていうのは型にはめたものが綺麗なんだ、時代に合ったものがね」

綺麗と美しいはどう違うんですか?という質問に

「まるで違いますよ。綺麗ってのは時代に合わせたパターンのものですよ。日本語でも珍しくいい言葉があるんですよ。醜悪美って言葉があるんですよ。醜悪なものだけど美しいって。醜悪なものは綺麗なはずはないんで。綺麗ってのと美しいってのを混同しているのが一般の常識だから、それを僕はいつも否定しているんですよ」


演奏や音と向き合いながら、綺麗な音、美しい演奏の絶対的価値と、綺麗なだけ、美しいだけと言われてしまうもの価値、そうは言っても美しいものの前では平伏してしまう感性の現実との狭間で、定期的に答えを探そうとしてしまう自分がいる。

岡本太郎の言ったことは観念的だが、やはり綺麗と真っ向から向き合いながらそうではない美しさの価値を探し求めることは、あらゆるジャンルの人にとって辿り着く道なんだなあと。

あらためて、人間にとって最も欲しいものはなんなのだろうと考えてしまうのでした。

posted by take at 18:31| 活動報告