2020年02月05日

成長の必須


学びとは攻めである


最近とにかく「攻める」ばかり気になって、あれこれ考えていて。

正直今までこのメンタルをあまりクローズアップしてこなかったのが、自分自身不思議で、なんでだろうと。


実は攻めてる人の大半は、その自覚はないのだと思います。

当たり前だから無自覚

ひとつ言えるのは、学びとは克服であり、攻めなくしての克服はありえないと。


N響の現場を見渡してみて、攻めないでここまでやってきた人はどう考えても1人もいない。そして皆、今日も、たった今も攻めている。

顔つきや態度が物静かで穏やかであっても、ピアニシモやフォルテシモ、ビバーチッシモやモルトアダージョ、価値ある新しい感動を欲しながら、とにかく当たり前のようにガンガン攻めまくっている。安穏と生きている人は1人もいない。


楽聖たちはどうだろう?


もちろんゆるゆるだらだらではないと信じてはいるが、同時に、攻めることもせず欲張って欲しがっていないだろうか?

攻めもせず、直ぐ「できない」「わからない」「退屈だ」「気分が晴れない」と言ってないだろうか?

あまり低い次元のことは考えたくないが、それより攻める生き方、その時間の気分、有意義さ、そして成果を何より当たり前に感じるが如くゲットしてもらうために、連呼し鼓舞しなければならない。


楽聖たちを見ていたら「実はそう言って欲しかった」という内面に見えたりする。

教師とは、生徒が本当に言ってほしいことが言えるようにならなければならないと、改めて思う。安穏と教えている場合ではない。


N響定期

posted by take at 14:27| 活動報告