2020年02月01日

イントレランス


新日本フィルに在籍したのは22才から25才まで。

そう、若かった。


四年半の間に、映画の上映に合わせオーケストラで演奏するという企画を、ふたつ経験した。

ふとつはディズニーの「ファンタジア」。もうひとつは「イントレランス」という無声映画。

今では当たり前になったが、当時は大変珍しい企画だった。映像にピッタリ音楽を合わせるのは、困難極まりないという時代だった。

「イントレランス」は1916年に公開されたアメリカ映画。不寛容を描き、人間の心の狭さを糾弾したもの。4つの不寛容を描いたストーリーが、複数のスクリーンに同時上映されるという大掛かりなもの。よって日本武道館、大阪城ホール、名古屋日本ガイシホールでの大規模なイベントだった。

音楽はフランス人作曲家の手による「イントレランスへの交響曲」という現代音楽で、モノクロ映像含め陰鬱難解なものだったが、それでも会場は満杯だった。バブルの特徴のひとつ。今となっては不思議な現象だった。


ときが流れ……


当時興味関心が薄かったイントレランス、不寛容というものを考える機会が今の僕にはある。

逆にあの頃なぜ、今までの何分の一も関心がなかったのか。

本当に経験値と哲学が浅く、また人を信じこそすれ疑わない気質が、危なっかしい若気を象徴していたのだと思う。恥ずかしいばかり。

疑うことを知ったのは大事な成長だと思う。同時に、世の中のあらゆる人の気質の現実を知ることに。「不寛容がたくさん存在しての社会」ということを理解したのだ。


ただ、不寛容を容認することはどうしてもできない。


不寛容をスルーしたり、なんなら認めたりまでして、多様な価値観を受け入れているのは寛容の気持ちなのだ。

逆に不寛容が寛容を認めることは少ない。

もちろん不寛容は社会がもたらす病気だったりもする。しかしいくら考えても不寛容を善しとはできない。

多様な価値観、人間性が混ざりながら生きていく私たちの社会では、寛容こそを強く示し、はびこる不寛容の力を弱めていくことこそが、本当に必要なのだと思います。


川越へ、N響定期

posted by take at 17:49| 活動報告