2020年01月13日

自分の物


妄想劇場だが

たとえば100人の指揮者がベートーベンの運命を振ったら96種類の演奏になったとしよう。つまり5人はテンポやアゴーギグ、歌わせ方やもっていき方まで全く同じ演奏をしたと。

その演奏こそが、世界で一番、人間にとって一番素晴らしい運命ではないだろうか。

つまり最高であり、文句なしの一番。


はい!妄想終わり。

現実は違う。100人が振ったら100通りの運命が演奏される。それが人類の運命。

つまり「一番はない」のである。

人間は人の数だけ種類があるから。

多数派少数派と分けられるものであっても、趣向という種類は必ず複数である。

僕はホラー映画は好き嫌いを超えて怖くて観られないが、作りたがり観たがる人たちはいる。そんなホラー映画を、僕が「作るべきではない」「無い方がいい」と叫ぶのはナンセンスだ。


演奏も、演奏家の数だけ、聴き手の数だけ趣向が存在する。どれが一番は、だから無い。

じゃあ演奏家は、何を目標に仕立てていけばいいのか?

最大公約数的に、みんながやりがちなパターンを取り入れればいいのか。名演奏と言われているものを真似ればいいのか。とにかく楽譜のとーりに吹けばいいのか。


どれも、間違いではないが正解でもない。

一番はないのだから、自分の本音が本当にいいと思う、自分にとって一番の表現を求めて練習、仕立てていけばいいのだと思う。


違う視点だが「自分の物にしよう」というメンタルで練習するのが良いのではないだろうか。

実際は世の中に放つ、聴き手という他人に放つのが演奏。だから人の耳や評価は気にしがちだが、仕立て方としては「自分の物にしよう」で良いのではと。


それがとことん貫き通されて、自分の物になってればなってるほど、良い演奏として評価されるのだと思うのです。


レッスン、ジパング

posted by take at 21:13| 活動報告