2020年01月09日

わかる指揮者、わからない指揮者


「指揮がわかりやすい」「指揮がわかりにくい」などと言ったりする。これはバトンテクニックとも言うもの。

オケマンにとっては、年中話題にあがるもの。

音の出だしや途中の動きやいろんな場面でいえることだろうが、端的にいうと

「タイミングをはっきり示してくれるからわかりやすい、音を出しやすい。タイミングがはっきりしない動きだからわかりにくい、だから出られない」

となる。


ただ、音楽の演奏に必要なのは当然のことながらタイミングだけではない。


実は……

フレーズにおける旋律や和声の音程のとり方の推移や、それが様になるようなアゴーギグ、つまり遅くなったり速くなったりするゆらぎ、ある音は時間が長くなりある音は短くなり、そして全体がどう流れていき、どのようにドラマが展開され、それが魅力的であり説得力があるのか

そんな「音楽感」がわかるか、否わからないかこそが本当は大事なのだと思う。


導く指揮者の音楽感がわかるというのは、イコール共感できるということ。神のように素晴らしいマエストロなら共感を超えて、その表現に感心し、好きになり、尊敬し、一期一会の幸せを存分に感じながら、演奏者自ら感動していたりする。


もちろん、バトンタイミングもわかり音楽感もそうだと問題なく素晴らしいが、必ずしもそうとは限らない。

よくあるのだが、凡庸な表現で感心も感動もなければ、どんなにわかりやすいタイミングであっても共感はしない。実はわかりにくいとなる。

彼の中にある音楽が素晴らしい共感と共にわかるなら、多少タイミングがわかりにくい動きでも、僕は平気。というか、それこそがわかりやすいと言いたい。

「あの人、中にあるものは悪くないんだけと、棒が全然わからないからなあ」と言われながら演奏が乱れまくりぐちゃぐちゃになるなら、実はそれはたいした共感ではない、さほどの音楽感ではないのだと思う。

本当に素晴らしい表現とは、まずなにより自然であり、しなやかに繋がっており、全員で同じ方向性、時間軸で進めたりするものだ。

棒の動きのせいでぐちゃぐちゃになるなら、結局人間の感性に対しての魅力としては、本物ではないものをやろうとしているのだと思う。


僕らオケマンには、自分たちがやるアンサンブルに責任があるから、よくわからいタイミングは確かに困る。

しかし音楽感がわかれば、要所要所だけ見てあとは勘で出れば合う。

何より出たいところで出られる、出させてもらえることこそが、一番大事なのだから。


N響定期練習、レッスン

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