2020年01月05日

策に溺れる


指揮者はそれぞれにやり口をもっている。

作品全体の作り方、練習の進め方、本番のやり方まで。

やり口はアイデアであり、研究の成果でもある。その指揮者にしか出せない音、アンサンブル、盛り上げ方等、たどり着いたアイデアが個性的で貴重なものであればあるほど、あらゆる楽譜をそのやり口で染め上げ、自分らしい演奏に仕立てていく。

ただそれが、アンサンブルや合奏ビルディングに特化したものであればあるほど、「どの作曲家のどの作品も同じような演奏」になっていき、それが見映え聞き映えのよい高品質であっても、印象に残らないもの、時間が経つと忘れさられてしまうものになる。


我が策を信じ過ぎ、策に溺れるということ。


世界一流の指揮者でもそうだったりする。

やはり音楽そのものとしっかり真摯に向き合わなければならない。そうすれば、作品によってやり口が違ってくるのが当たり前。


練習パターンに対する新しいアイデアが「それさえやれは絶対大丈夫」というものがなにひとつないのと同じ。刺激的なパターンほど、信奉しやり過ぎると少々おかしくなってくる。

そして、必ず基本に立ち返ったり、新しいものを考えていかなければならなくなったりする。


そういう意味でも、演奏家にも指揮者にも、研究は永遠に必要なものである。


正月

posted by take at 16:26| 活動報告