2019年10月31日

沖縄へ愛を


朝一番に聞いた悲劇、首里城の火災は、あまりにショックで耳を疑うものでした。

深く傷ついたであろう沖縄県民の方々の気持ち、そして芸大の楽聖たちのダメージを想像すると、言葉にならない辛さがわいてきます。


ご存知の方も多いかもしれませんが、沖縄県立芸術大学は首里城の直ぐ隣にあります。

まるで同じ敷地の中にあるような立地。大学の門を出て右を見上げると見えているという、楽聖にとっては毎日の生活の中に存在しているものです。つまり今日彼らは、焼け落ちた城を否応なしに見ることになっています。


沖縄の美しい朱色に彩られた城は、まさしく琉球人の誇り。

「当たり前にある光景でしたから、それがなくなるとは思ってもみませんでした。無くなってはじめて、こんなに沖縄人の象徴的で拠り所にもなっていたのだと感じました」

今日沖縄からきたメール。言葉のひとつひとつから、重苦しい痛みが聞こえてきます。


丘にそびえる美しい城こそ、この小さな島に住む沖縄人の大きな誇りと歴史の象徴だったことは、訪れた人には直ぐに理解できてきたことでしょう。


芸大は明後日からの芸術祭も中止。準備に力と気持ちを使ってきただろう、若き楽聖たちの傷ついた心も心配だ。


たくさんの関心と支援応援の気持ちが、遠き沖縄へと投げられますように。


大塚、川越へ

posted by take at 22:10| 活動報告

2019年10月30日

人類の母


先日の広島水害復興支援コンサートを聞いた人から、様々な感想をいただいた。

その中に「あらためて音楽の力を感じました」というものがありました。


「音楽の力」というのは、人間に対する好意的影響力として、本当によく語られる言葉だ。

癒しや慰めを生む薬のような、活力へと繋がる栄養剤のようなその効能を語る人たちの言葉の中に、「思ったよりも凄く…」みたいな、私たちの理解や許容を超えた大きすぎるパワーを称えているテイストを感じます。


次から次へと災害が襲ってくる今の日本。気候の話になると世界全体が病んでいきつつある現在。増え続ける被災地を目の当たりに、もうこうなると、無事だった人も全員被災者予備軍。いやもう既に日本人全員が被災者ともいえ、全員で全員を、ありとあらゆる不幸を助け合わなければならない状況になりつつあります。

暗くなり、じわじわ病んでいく現実も感じる中、音楽が本当に救いになるという意味で「あらためて音楽の力を……」と語られたのだと思う。


もちろん困ったとき、しんどいときの救いの力があるとは思いますが、同時に世界中のあらゆる良い時代も、音楽は更なる生命力を煽るが如く、そのパワーを発動し続けてきたのではないでしょうか。

浮き沈みを繰り返しながら、何千年、何万年も生まれ変わりながら生きてきた人間の、あらゆる状況に音楽は寄り添い、僕なんかが思っている以上の物凄い力を発揮してきたのでしょう。


そう考えると、音楽とは「人類の母」のような存在だなあと、ふと思ったのでした。


大塚にて講義、川越へ

posted by take at 16:30| 活動報告

2019年10月29日

どんな息を?


息の語り方

僕はスピードを語るのはあまりピンとこない。客席にビューン!と聞こえて来るからといって「スピードを速く」というアプローチでうまくいったためしはないし、うまくいってるのを見たこともない。

量も「たくさん送ろうとする」ことは大事だが、常にたくさんとは限らない。まあ「量を増やしてたっぷりと」でうまく変わることは多いのですが……



「大きな息を。フォルテはもちろんピアノのときも、大きな息を送ろう」というのはどうだろうか。


広がりと奥行きをもつ魅力的な音には、この言葉が一番イメージに繋がりやすいかも。

息は大きく大きく!!


川越へ、ジパング

posted by take at 17:25| 活動報告

2019年10月28日

滝沢カレン


僕はよく知らない人だったのだか、日本語がユニークでも決しておバカキャラというわけではなく、人柄が真面目で誠実との評価で人気が高く、バラエティーにも長く出続けている27才の若手タレント、女優の滝沢カレンさんが、トーク番組で自らの変化を語ったものに、頷きながら感心する場面があった。

最近人生に対する考え方が変わったっていうのは、どういう風に?という質問に対し、


「私は自分が好きなことは全部やる女なんですけど。あまり人がいいっていうものよりは……

私はホラーが好きだったんです。なのでホラーとか実話を一直線で観てたんです。限られてるじゃないですか、好きな人。周りと話合わなくても、でもいいって思ってたんですけど。

でもある時から、みんなが良いって言ってるもの、名作っていうのを絶対観ようと思ったんです」


その後の素直な意見は結果周りからちゃかされていたが、彼女が最も言いたかったことだろうことは僕にはわかった。


「観てみたら真逆(今まで好きで観てきたものと)だったんですけど、凄く良かったんです。みんなが良いっていうものって、本当にいいんだなあって」

「(気づくの)遅くね?」との芸人的に突っ込まれた後も

「でも、本当に良かったんです!名作って」と。



立派だなあと思った。

マニアックな趣向の人はたくさんいるし、個性としてアピールするために、敢えて少数派ジャンルを進む人もいたりする。

若い頃素直にそれが好きで、そのまんま間口を広げずそのことの話が合う人とだけ付き合っていく人はたくさんいる。決して悪いというわけではないが、しかし名作と言われて多くの人が称えるもの、自らの趣向とは真逆を「絶対体験しよう」という判断は、意外に勇気がいることなのだと思う。そして、結果そこにちりばめられたあらゆる素晴らしさを感じる価値観をきちんと持ち、語る。


実はこういう人は強いのでしょう。臆することなく、普遍性を持つものの素晴らしさを感じた自分の変化を話す彼女を見て

立派だなあと。


N-crafts,呉にて学校コンサート

posted by take at 10:50| 活動報告

2019年10月27日

強くなっていかなければ


実は「弱っちさ」も生意気に繋がるのだと思う。弱っちさこそと言った方がいいか。

弱さ故に虚勢を張ったり、卑屈からの理屈っぽさで攻撃したり。


前述した強さを持っている人間が、たとえ生意気な若者であっても、他人の心情に関心があり、コミュニケーションや生活の上での失敗をうまく反省し、有難い叱責も素直に真に受ける純真さを持っていれば、素晴らしい中年になり、尊敬されるような老人になるのだろう。


そういう意味でも、強いということは大事だし、たとえ弱く育っても、長い人生の中で、少しづつでもよいから強くなっていかなければならないのだと思う。


そうすれば、攻撃によるアイデンティティーという残念なやり口にならなくて済む気がします。


呉へ

posted by take at 19:28| 活動報告