2019年09月30日

向かう


フレーズも人生の時間も向かってなんぼ。向かえる幸せ、向かう目的地無しの不幸こそを知りたい。


ものすごい先、始まった瞬間に、曲の最後あたりのクライマックスや、最後の音を意識するのは難しいし、それよりは何小節か先の目的地をまずは目指すべきなので、そこへ向かうこと。つじつま途切れずそれが続けられたら、結果一曲のクライマックスへうまくたどり着け、最初から向かってきたみたいに成立する。


人生も未来はわかりようがないのが現実だし、何年後、五年後、十年後はまず把握が不可能なので、近々の予定を。その目的を目指して向かいたい。短いスパンの各々が別物のようにならず、多かれ少なかれ関係を保ちながら進めたら、人生も一本筋が通り、なんならひとつの深みを目指しながらオリジナルの達成感も獲られる。それを目指した結果はなかなかに素晴らしい。


周りが設定したこと、与えられたことだけをやろうとすると、本来喜びの本能として持ち合わせている「向かいたい」が分泌されず、悶々とし辛くなるでしょう。

つまり、何に向かうか、どこに向かうかは、自分が選ぶものだと理解した方が良い。

我が本能に突き動かされるように、気づいたら向かっていたなら、それこそが人生の宝物だといえる。


大塚へ

posted by take at 09:25| 活動報告

2019年09月29日

一話一会


大槌、吉里吉里地区を舞台にした『風の電話』の映画は、来春公開の運びのよう。Facebook上にて、映画の宣材デザインを見ることができた。

あの場に立ち尽くした人間、泣き崩れた人間からすると、電話ボックスの写真だけでも胸が締めつけられそうになる。

そしてそのセンターには短いコピーが、あまりにも強い思いとして、エピソードの全てを語り尽くすように…しかしぽつんとたたずんでいる。



もう一度、話したい



そうだ。泣き崩れたあの奥さんの言葉、「会いたい人はたくさんいます」は、「もう一度話したい人が、たくさんいるんです」なのだ。

無念の別れを経験したなら、一番に思うのはそれなのだろう。



もう一度、話したい



なら、今話ができる人はあまりに幸せな存在だし、話すということは、なによりも価値ある行為だということ。


今から会う人との話、何より大切な人との話。声を聞く、声をかける、気持ちを交わす。

そのことを、普通に感じず大切に思うことだ。


失ってから、もう一度との後悔が、あまりに辛すぎることにならないように。

一話一話、自分の心のように大切に。


N響つくば公演、ブロカート

posted by take at 19:11| 活動報告

2019年09月28日

大きさへの二極


人間の大きさとは、二種類の意味に受け取れる。身体が大きい、そして人間性の豊かさ。包容力とでも言うか。


音もそう。

デシベルとしての音量。(日本語では、あまり好感が持てないが「強さ」という言葉も同義だったりする)

そして、人間性と同じく響きの豊かさ。包容力と感じるのも人と同じ。


実は音の大きさを手にいれようとしたとき、このふたつへのアプローチは、相反していたりする。

音量を求めるトレーニングをすると、響きや包容力は得られない。響きや包容力を得ようとすると、デシベル的音量にはリミッターがかかる。


ただ、聞いている人が「音が大きい」と感じるのは、それこそ音量よりも空間に広がる響きの存在感の方だったりする。その方が三次元的な大きなビジュアルとして見えたりする。

音量がある程度以上大きくなってしまうと、鼓膜も気持ちも強さからの痛さこそを感じてしまい、「大きいから凄い、素晴らしい」よりも、「ノーサンキュー、聞きたくない」となってしまう。


相反するアプローチだと感じるのは、明らかに小さな音量での取り組みにこそ、大きな響きへの道筋かあるということ。


実は「相反している」ことこそを理解して、新しい大きさ、そのファンタジーともいえる世界へと向き、歩んでみたい。


N響練習、還暦パーティー

posted by take at 18:44| 活動報告

2019年09月27日

音程の精度という個性


音程とは、良い悪い、高い低い、正しい正しくない等の言葉で語られるものだが、実は


「その演奏者の中で、どれくらい重要視されているか」


それこそが音程クオリティのみならず、演奏の成否を決定すると言っても過言ではない。

つまり、演奏の成功には的確な音程こそが大事だと、どれくらい思えているか。


個性というのは、音色や歌い回しに対して見つめていることが多い。比して、音程やリズムは「正確かどうか」「場面に相応しいかどうか」等、個性というよりは必要な能力としてとらえている。

しかし演奏家がソルフェージュ能力として持ち合わせているだけでなく、音楽表現の貴重な材料として音程を貢献させようとしているかは意外に人それぞれであり、極めて重要だと研く者いれば、ほどほどにしかとらえておらずそれこそ音色や歌い回しばかりで表現しようとする者もいる。


そう考えを深めると、音程とは、表現クオリティに極めて影響があることが理解できてくると同時に、良い個性になりうるし、冴えない個性にもなってしまうとも言える。


川越へ

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2019年09月26日

ボケポテ


ボケには、無限ともいえる難易度があることを痛感する瞬間。


とある年長者が鎖骨を骨折したと聞きコメントした、天然で有名な女性の話。


「〇〇さん、大丈夫ですかあ?骨折したのさこつですか?うこつですか?」


さこつを折ったと聞いてこのボケ。素晴らしいと同時に、深すぎる奥行きに彼女の思考の無限のポテンシャルを感じるのです。


N響定期


posted by take at 21:24| 活動報告