2019年08月29日

後半の後半、そして終わり方


芸能界で解散や脱退などの言葉が飛び交っている。

華々しい活躍を周りから好意的イメージで見つめてきた人たちだと、残念な気持ちになるのと同時に、「そうなってしまったか感」に強く襲われる。運命を嘆くみたいな。

当事者の立場ではそういう決断をするしかない何かがあるよう。ただ構成員によっては、したくないが相手次第で受け入れざるを得ないパターンもあり、つまり総意ではないことも多く、円満解散、円満終了、円満退きは何気に難しいのかと。


イメージ業としてファンという存在に支えられ、なんならそんな人たちに食べさせてもらってきたなら、終わり方はきれいに着飾って欲しい。たとえ嘘であっても。ファンあっての、ファンのために、ファンに感謝と言うのなら。


そう思うくらい、時間か経ってそう状況が変わってしまっているのが残念でたまらない。

どうせ駄目になるなら早いうちになっちゃって、周りの時間や気持ちが濃く関わらないうちに結果が出たのなら、関心が薄くなるのも早くてすむ。

若い世代のものなら「若いからね、揉めるよね。まあ次はいい出会いになるといいね。我慢も覚えてってね」と思える。

しかしベテランになってからの意思疎通解離は、そこまで積み重ねてきたものも実は具合悪かったのか?と周りに思わせてしまい、理由が何であれ、本当に残念な気持ちにさせられる。


「終わり良ければ全て良し」の逆。「終わりが良くないと、ずっと良くなかったのか?」


本当に終わり方って大事だなと思うと共に、個人の人生としても、後半の後半こそ、自他共にみっともなくなくが最も為すべきこと。

難易度が高いのはわかっている。

「あー、あの人若い頃はともかく結局あーなっちゃってるってことは、所詮そーゆー人だったってことね」

と、人生の最終通信簿が赤点にならないように。追試も再試もないわけで。


N響においては、僕はもうそういうたち位置。これからこそが気を付けどき。


レッスン、N響オペラ

posted by take at 13:56| 活動報告