2019年08月18日

三麺記事

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半年以上ぶりにのれんをくぐる。


彼女は覚えてくれているだろうか……


男は心の中で呟いたが、不安よりも、目の前に飾られたフライたちの賑わいに、胃にも心にも期待が渦巻くばかりだった。


フライ・ミー・トゥ・ザ・ムンムンだな。フッ、今日のオニオンは分厚いじゃないか。


男はためらいなくオンディッシュオニオンへの道を選ぶ。秘めやかに彼の口角が上がったことを、周りの男女は知るよしもない。


タチウオは男のフェイバリッツフィッシュだが、衣をまとったその大きさは、彼の胃年齢を忘れさせるのに時間はかからなかった。ただ……


トングでタチウオを掴んだ瞬間、近くにあるアジフライが小声で呟いたのを男は聞き逃さない。モスキーは聞こえずとも、アージーの声が聞こえないことはあり得ないのだ。


わ、わたしじゃないのね……


トング片手に立ち尽くす男。

な、なんてことだ。今までの人生あんなにアージーに愛を表現してきたのに。嫌、ターチーが大きいからではないし君と比べたわけじゃない、ただ、ただ先に見つけたから心が揺れただけで……

今さら何を言ったって言い訳にしかならない。そう、ターチーを掴んだことは消せない事実。


男は胃をくくる。


オニオンの上に乗せたターチーの上にアージーをのせ、全てに愛をそそぎながら平和に生きることに決めたのだ。食後どうなってももう知らないと。



さあ、いよいよ半年以上ぶりの彼女との対面だ。

空間を舞い埋める湯気の前に立つ女は、男の顔を見るやいなや間髪入れずに右手の指を三本立て、少しだけ目を見開いた。もちろん口はつむんだままだ。


男もだまって、三本指を立てる。


そう、これがこのカウンター越しに繰り広げられてきたハードボイルドな歴史。二人に言葉はいらない。


「せんせ、凄いですね。あ、かけ大お願いします」


後ろに並ぶS。男のノーボイスオーダーに驚く彼だが、後ろが詰まっているのでスピーディーに自らの生き方を叫ぶ。

そういえばSとこの店に来るのは5,6年ぶりだろうか。男のオンリージェスチャースリーメンズゲッツを彼が知るわけはないのだ。


巨万の富をレジで散財した男は、だまってかけの麺を熱い湯にくぐらせ、出汁をかける。舌を喜ばせるより前のこの行為こそ、男のテンションがウナギハイになる瞬間。

熱い出汁を指にかけてしまい、「んがっ」とデカイ声が出てしまいそうになるが、そんなみっともないことを男は絶対しないし誰にも気づかせない。

それが男の流儀。

一瞬目を見開いただけで後は歯を食い縛り、何事もなかったようにテーブルへと歩いていくのだ。きっと店内の三人くらいが「さすがだ…」と呟いただろう。


「せんせ、それ怒られるやつですね」


トレーに乗り切らないスリーメンズとフライフライフライを評してSが言う。

男は黙って箸を割るだけ。


ふふふ、誰が怒るって?そうだな、怒るだろうな。でも誰が年が胃のない俺を止められるって言うんだい? 後悔するくらいならのれんをくぐらないのが男ってもんだろ?なあ?


そこに、男の問いかけに応える者は誰もいなかった。


高松一高レッスン

posted by take at 18:52| 活動報告