2019年08月31日

やっぱり玉子はうどんだね


天のやの玉子サンドが品川駅構内のエキュートでも買えることを知り、それだけを目指し外出。良い休日です。


以前は興味なかった玉子サンド。

ミックスの中でもお気に入りとしては下位に位置していたのですが……もしかしてここ最近美味しくなった?なんだか意識しはじめています。

恋に発展か?


そら炭水化物と玉子は誰がなんと言おうと合う。

玉子かけごはんは混ぜごはんとして世界最強だし、カツ丼や親子丼らスター揃いの玉子丼ファミリー、玉子チャーハン、玉子とじそば、カルボナーラ、エッグマフィン、うどんにも釜玉うどんと、なにせ相性抜群。

玉子サンドも、サンドイッチの中で一番好きだという人がいるのも理解できてはいて、徐々に自分がその魅力にはまりつつあるのです。


前述の玉子かけごはんはやっぱり最強で、そのパン版が玉子サンドだとして、じゃあうどんは釜玉になるか。

パンに比べうどんはウェットなので、黄身だけ絡めるくらいが一体感もばっちり。で、釜玉となるのはわかる。

ま、それはそれでいいんだけど、なんか新しいのできないかなあ?

考えてみました。


『スペシャルたま汁うどん』

天のやの玉子サンドは、だし巻きが挟んであるのがかなりオリジナルな美味しさ。

ということで、つけうどんはつけうどんだが、つけ汁は濃いめの出汁に生玉子をふんだんに溶かし、更に錦糸玉子を薬味ねぎのようにみじん切りにし投入。これでもか玉子まくりテイストで。

ゆで上がったうどんに鰹か何か魚粉をかるうく降り、水気をとって絡みやすくする。

そのうどんを濃密な玉子テイストのつけ汁に浸し持ち上げると、薬味玉子も一緒に絡み上がり、その一体感を一気に口へ。後は思う存分すすりきる。


どうでしょう。うどん業界関係者(?)としてもですね、玉子かけごはんや玉子サンドに負けないようなうどんをですね。


「やっぱり玉子はうどんだね」って、言われたいじゃないですかあ。


休日

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2019年08月30日

ジワジワおもろセリフ


ぽっちゃりで人気のアナウンサーが、駅伝企画で走り込み激やせするとファンから


「頼む、盛大にリバウンドしてくれ」


との懇願があったよう。僕的にはもう既に笑ってしまう頼み方だが、それに対し当のアナウンサーは駅伝終了後に


「びっくりするほど焼き肉の予定が入ってます」


おもろいわあ、どんな予定やねん。



リバウンド系をもうひとつ。とある演奏家が激やせしたとの噂が。ガタイがいいのがネタのいじられキャラだったので、皆は口々に「取り扱いに困るんだよなあ、リバウンドしないかなあ」と。

すると、年々丸みを帯びているあるベテラン奏者が、自分のお腹を撫でながら


「いいなあ、リバウンド。俺なんかずっとバウンドしかしてない」


たしかにずっと「リ」の様子はなく、豊かにバウンドし続けている。



とあるホルン吹きが、ホルンアンサンブルを楽しんでいる。

楽譜は結構音が低いようだが、見事に吹いている。僕はベルの後ろで聞きながら、さすがだなあと。

終わった瞬間、真後ろで僕が聞いてたのが恥ずかしかったのか一言


「いやあ、低音は医者に止められてるんだよお」



「ムシャムシャしてやった、今ははんすうしている」

「俺くらいのマヨラーになると、マヨネーズ無しでもご飯が食える」

「アンパンマンは君さ、という真実を告げられたときの衝撃」

明智光秀「敵はほんのりしおあじ」

ムスカ「見ろ!人ごみに流されて変わっていく私を」

母が「今日はボラギノールよ」と言って、カルボナーラを出してきた。

プロポーズのつもりで「卒業したら一緒に相撲」って送ってしまう。彼女からは「どすこい」ってレスがきた。



最後に、最近気に入っているコマーシャルコピー。プリマビスタの女性用化粧下地のもの。


「顔面油田 ピンチ!」


レッスン

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2019年08月29日

後半の後半、そして終わり方


芸能界で解散や脱退などの言葉が飛び交っている。

華々しい活躍を周りから好意的イメージで見つめてきた人たちだと、残念な気持ちになるのと同時に、「そうなってしまったか感」に強く襲われる。運命を嘆くみたいな。

当事者の立場ではそういう決断をするしかない何かがあるよう。ただ構成員によっては、したくないが相手次第で受け入れざるを得ないパターンもあり、つまり総意ではないことも多く、円満解散、円満終了、円満退きは何気に難しいのかと。


イメージ業としてファンという存在に支えられ、なんならそんな人たちに食べさせてもらってきたなら、終わり方はきれいに着飾って欲しい。たとえ嘘であっても。ファンあっての、ファンのために、ファンに感謝と言うのなら。


そう思うくらい、時間か経ってそう状況が変わってしまっているのが残念でたまらない。

どうせ駄目になるなら早いうちになっちゃって、周りの時間や気持ちが濃く関わらないうちに結果が出たのなら、関心が薄くなるのも早くてすむ。

若い世代のものなら「若いからね、揉めるよね。まあ次はいい出会いになるといいね。我慢も覚えてってね」と思える。

しかしベテランになってからの意思疎通解離は、そこまで積み重ねてきたものも実は具合悪かったのか?と周りに思わせてしまい、理由が何であれ、本当に残念な気持ちにさせられる。


「終わり良ければ全て良し」の逆。「終わりが良くないと、ずっと良くなかったのか?」


本当に終わり方って大事だなと思うと共に、個人の人生としても、後半の後半こそ、自他共にみっともなくなくが最も為すべきこと。

難易度が高いのはわかっている。

「あー、あの人若い頃はともかく結局あーなっちゃってるってことは、所詮そーゆー人だったってことね」

と、人生の最終通信簿が赤点にならないように。追試も再試もないわけで。


N響においては、僕はもうそういうたち位置。これからこそが気を付けどき。


レッスン、N響オペラ

posted by take at 13:56| 活動報告

2019年08月28日

羨ましき映画の栄華


実はさいたま市の映画館では、封切りから半年以上経った今でも『翔んで埼玉!』をロングラン上映中らしい。

県知事選挙の広報にも抜擢され、いろんな意味で埼玉のPRに貢献することになった作品。

もちろん内容がかっとんでて面白かったからだが、その生まれてきた運命的流れ含め、県というくくりの素晴らしい作品がひとつ完成し未来へと残るのは、他県からすると、後々結果羨ましいアイテムになる気がする。


うどん県を名乗り失笑と賛辞の中、賢明県名懸命健明戦略としては独走態勢にある香川県。

大分の温泉県名乗りは頑張っているが、件の埼玉に「うどん県を名乗りたい」なんて片腹笑うような夢を吐露させるまでには至ってないわけで、他を追随させないそのオリジナルやり口にうろんを挟んでも異論を挟むものはいないだろう。

ただ県名映画は少々羨ましく……


ということで、僕が寝ている間に寝ずに考えたのが、翔んで埼玉リスペクト風便乗映画

『コシラ 〜うとんで埼玉VSキングオブうどんの県〜』


内容は、主人公である埼玉のうどん研究者が、どうしてもうどん県を名乗りたく奔走し、「うどんの玉、幸玉プロジェクト」を立ち上げ、全日本美味コシうどんコンクールの決勝でうどん県代表と戦い勝利するが、実は強大な実力フィールドを誇る香川の一端に触れただけだとの現実に、手打ちひしがれるというもの。


この映画で観客と話題を掴み、その続編として『ほんで香川! 〜讃岐の逆襲〜』を制作。

主演にGacktと二階堂ふみを抜擢し、結局どのコシが最も素晴らしいのかを示す。

そして、三部作の最後を飾る『コシラよ永久に 〜最期の聖麺〜』 で美しく完結。

怪獣映画かと思わせ子供も動員するが、結局最後まで怪獣は出てこないという、セコいプロジェクトでもある。


全て香川中のうどん屋と山田うどん、テーブルマークがスポンサーとなり、映画の世界としても、食卓と歴史に永遠に刻まれることとなる。


で、ジブリでアニメ化からの次はハリウッドやな。


レッスン

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2019年08月27日

課題という宝


僕はそれなりに長くトロンボーンを吹いているが、正直に書くと、成長と学びに対する取り組み、そのペースが常に同じようにアクティブだったわけではない。

停滞していたり、なんなら怠惰な取り組みのときも。欲浅く仕事をこなすだけ、まあこんなもんかみたいな時期や、きわめて不真面目な日もあったりした。



たとえば素晴らしい演奏を不意に目の当たりにしたとして、奮起のきっかけになったという有難いタイミングもあるが、自分の中の課題が弱いそんな時期は、ただただ受け止めて終わりなんてこともあったと思う。


つまり素晴らしい演奏を聞く体験をしても、その人の中にある課題と照らし合わさって、新たなる発見と共に変化に繋がる貴重な機会になることあれば、「良かった、凄かった…」で終わり、成長の足しにはならないこともある。

自分にとって人生が変わるくらい特別な体験でも、隣の人にとっては、演奏会後の食事中にはもう数ある観賞体験のひとつにしかならないこともあるのだろう。


若き楽聖含め演奏を磨いていきたい人なら、素晴らしい生演奏を聞くことは絶対に必要だ。外来的印象無しに、自分だけのイメージで進める人はまずいない。


ただ聞きさえすれば良きことに繋がるとは限らない。


優れた演奏家が過去に聞いた様々な演奏から(なんならどんな稚拙な演奏からも)、聞く度になにかをゲットしていったことにより急激なる名手化を為したとしたら、それは何より常に高い理想へのオリジナルともいえる個人的課題を持っているからだ。


実は不可欠なことは聞くという体験ではない。課題を持っていること。その課題さえ持っていれば、聞いた演奏から初めて自分を変える気づきを得ることができる。


課題の無い人は、貴重な宝が心のフィルターをすり抜けて流れ出てしまうことになる。


N響オペラ練習

posted by take at 10:19| 活動報告