2019年07月31日

リエクサ日記 その6


「日本人が良くないのは、吹奏楽からスタートしているからだ」

かつてこの意見を声高に言う木管の名手がいた。

僕は「良くない」とまで極端な価値観へと決めつけるつもりはないが、ただ、楽器が上手くなっていくルートというのは、私たちが辿ったものとは違うものがたくさんあり、それにより傾向やスタイルに影響があるのではと、今回のブラスウィークでは考えることが多かった。


世界の名手たちのパフォーマンスを聞いたり、コンクールを聞いたりしながらも感じていたことだが、最後、フィンランド各地から集まったアマチュアのアンサンブルをレッスンしながら、決定的に考え込んでしまった。

彼らは、日本人のように息をたくさん使いしっかり鳴らそうとするのではなく、ある意味凝縮したような限られた息で、とても綺麗に吹いていた。音量はとても小さく音色の変化には乏しいが、しかし金管楽器をとても柔らかく、美しく奏でる。

それが始めて間もないであろう若者だけでなく、何十年も吹いてきた老人も皆そうだった。

おそらく「とにかく吹き込め。そうすれば楽器が良い音になるし、吹けるようになる」ではなく、「美しく吹きなさい。力んだり音が割れたりするほど大きくは吹いてはいけない」との価値観で進んでいるのではないだろうか。

それは息だけでなく、タンギングのスタイルにも当然影響を与えていた。つまり立ち上がりに個性があり、響き自体にも繋がり。


僕は、日本人が吹奏楽から始めたとしても、半年も経たないうちに大ホールでのコンクールでフォルテを吹かなければならないのでなければ、いろんなことが違うのでは?とは考えてきた。

彼らは小さな編成のアンサンブルではあったが、トロンボーンばかりのグループでのウォーミングアップや、バンドのパート練習にてスターウォーズをみても同様の取り組みで、まさしくこの国のスタイルなのだろう。

ただ同様のことは、フィンランドだけでなく、いろんなヨーロッパの演奏家からも伺える印象。

もちろんプロフェッショナルになり、なんならオーケストラプレイヤーになるならもっと大きく、時にはブラスらしい力を表現出来なければならないのは確か。

僕の予想が正しいとして、始めた最初の数年は特に「絶対力むような、割れるような音量まで吹いてはだめ。とにかく美しい音で」との価値観で進み、そこでいろんなことが吹けるようになってから、専門的教育として現実的な大音量のための意識と、吹き方へと向くのだとしたら、本当に日本人の辿り方とは違うとなる。

もしそうだとして、どういうトレーニングをしていくのかは強い関心の対象となる。

プロフェッショナルたちを聞いていても感じる、安定感や見事な技術、音の拡がり等は、もしかしたらそういう辿り方も影響があるのかもしれない。


僕は決して日本人が良くないとか卑下しているのではない。

ただ、素晴らしいものへと完成されていく時間的道筋ということについて、自分の価値観以外にも存在し、それを知ることにより、今後、自分や生徒たちがやるべきことも研究すべきだなあ思うのです。


帰国
結局演奏に関してばかり書いたが、フィンランドでのあらゆる経験は、とても充実しており、予想以上に素晴らしい糧になりました。僕が常に願う、旅の前と後で何かしら変わりたいというのは、運良く達成できたよう。暇な時間なく、楽しくも新鮮。結果喜びと学びの多い旅でした。

posted by take at 15:30| 活動報告

2019年07月30日

リエクサ日記 その5


実は初フィンランドで、いろんなものを見聞きし、飲み食べしたのですが、結局ここに書きたいことは演奏のことはかりで、それだけ収穫の多い旅だったということでご勘弁を。

特に最終日の今日、ヘルシンキはシベリウス公園にて、あのモニュメントと出会い触れられたことは、シベリアンにはたまらないのですが………


演奏が高く評価されるには、特徴の優先順位があるのだと思いました。

実はおさえておくべき第一義は、やはりフレーズの一体感で、短く音を並べただけのものはだめ。そのひと塊が流れることと、どこへ向かって、昇りきり下るか。

テンポ感や、遅くしたり速くしたりのアゴーギグは、実は二の次。

フレーズのつかみかたこそちゃんとすべきで、あとはある意味自由だとすら感じました。


帰国中
リエクサ来たとき最高に気持ちよく、途中半袖でも汗だくくらい暑く、今日は雪散らついてる。なんやねんだが全体と通しては素晴らしく快適。なぜならフィンランドは、自然の空気の中にあり、湖も森も本当に美しかったから。人は優しくブラスウィークはエキサイティング!

posted by take at 23:28| 活動報告

2019年07月29日

リエクサ日記 その4


今日は音楽祭の一環として、フィンランド各地から集まったアマチュア団体のレッスンでした。

僕が挨拶がてら「五木の子守唄」を吹くと、お返しですとフィンランド民謡を演奏してくれた。

その中間部は深淵な短調の世界。突然フィンランドの深い森か目の前に登場し、感動しました。「キートス、キートス(ありがとう)」と、心からのお礼を。


同時間のコンクールの二次を家人が聞きに行き、レポートしてくれました。僕が聞きたがっていたので、行ってくれたのです。


デュダンスにデュテーユが入った四曲は、かなりハード。強靭なスタミナが必要。そんな中興味深い話が。

音がとにかく柔らかく美しいのだが、あるタイミングから突然バテて、精彩を欠いた若者がいたと。僕も一次予選でそのサウンドに素晴らしさを感じた人だったのですが……


日本でもかつて、とにかく音が柔らかく美しいのですがスタミナに問題がある演奏家がいた。早めにバテて、そこから急に音が出なくなる。

あのサウンドは、ある意味理想的なもののひとつ。

ただ若くしてそこに辿り着いているのだが、その楽な奏法の分、スタミナプレーに必要な筋肉が育ちきっていないのだろう。

そういう意味で、若いうちは多少のパワープレーからの柔かさというバランスは必要で、最終的な理想的サウンドへは、それなりに人生の時間と共に辿り着くべきかと。

若者らしいパワーからの筋トレ、しかし硬さや力みは避けられるよう意識。そののち、それを仕上げていく時間の長い旅を。


結果悔やんでいるだろう美音の若者が、諦めることなくなんとかして、スタミナと共に安定と安心を掴んでいけることを祈ります。


リエクサブラスウィーク、レッスン

posted by take at 01:02| 活動報告

2019年07月28日

リエクサ日記 その3


まだレコードを聞いていた頃の思い出。

あの頃から大好きだったシベリウス、グラモフォンはじめレコードジャケットの写真は大抵湖とその周りの森。

今目の前にそれがあり、後れ馳せながらやっと憧れの点と点が線で結ばれた感じ。

木々の印象、陽光と水面のキャラクター、全てがあのジャケットの通り。

シベリウスのジャケットはこれ!とドイツのレコード会社が決めるのも、わかるような北欧を代表する美しき風景。

ここに立てたことも、人生の宿題を終えることのひとつでした。


秘めやかに感動しています。


リエクサブラスウィーク、屋外コンサート

posted by take at 00:00| 活動報告

2019年07月27日

リエクサ日記 その2


リエクサ日記というより、こちらでの時間、コンクールを聞いたりコンサートを聞いたり、練習したり本番したりで感じていることを書いてしまう。


とにかくここ最近の僕は、発音マニアと化しているので、日本にいての僕自身の既成概念を大きく変えたくなっている。

音色や響きというのは、もちろん当人のイメージがなせる技だが、たとえばコンクールを聞いても、フィンランド人、ウクライナ人、イギリス人、日本人の響きが違うだけでなく、発音が違って聞こえる。個人の個性もあるが、国の特徴も感じるのです。


私たち日本人は、明らかに日本語で発音しているのだろう。それが日本人らしさになっているのだろうが、実は息の流れやすさからの響きの豊かさ、安心感と美しさに繋がる解放感は、我々にはもうひと工夫必要なのでは?と感じてしまう。

今回はフィンランドやイタリアの名手のパフォーマンスも聞けたが、やはり彼らにとって当たり前の発音が功を奏しているような印象もある。


ある木管奏者ははっきりと断言した。「私は日本語というのは、管楽器の発音にむいてないと思う」と。

ベッケさんがかつて言った「私は何割かは全く発音していない」というのも、僕には少しずつ解釈が変わりつつある。


とにもかくにも、発音というのは、はっきりつくとかつかないとかだけで語れない、凄い奥行きがあり、あらゆることを試す必要がある気がしている。


コンサートの最期にフィンランド語でいくつか喋ろうと、ポケトークを使いカタカナに興してみた。それを発音し、ポケトークに日本語で変換してもらう答え合わせをしたのだが、何回聞こえる通りに発音してもまるで違う日本語にしかならないのがあった。


発音はかくも謎めいて幻想的な世界。より研究をして、私たち日本人の未来の響きへと繋げたい。


リエクサブラスウィーク、教会コンサート

posted by take at 19:16| 活動報告