2019年06月04日

怒ります


「怒らない時代」である。

教育なのだが、伝わらないどころか強力副作用として「ハラスメント!」と逆評価されてしまい、なんなら立場を追われてしまうほど、不本意にでかい損をしてしまう。

よって「怒らずに伝えよ」「怒らずに育てよ」ということのようだ。

怒ると萎縮する前提が決定症状とされており、生徒、子供が、先人のアプローチから喜びながらやる気になるように導けと。


なんでそんな極端な話になってしまうのだろう。



僕は最近だけでも、生徒に対し二度大きめな説教をした。怒ったのです。

腹がたったし、それだと誰だろうが周りはむかつくし、結局それが理解できないと損をするのは彼、彼女だから。

で、説教し終わって思うのだが


彼らはときに怒られるのを待ち望んでいる


自分がうまくいってないことは彼らはわかっている。ただ、どうしてうまくいかないかがわからないか、自分の思考や行動のサボタージュだとはわかっていても、どうしてやらなきゃいけないことがやる気になれないかはわかっていない。

だから、わからないことがわかるようにはなりたい。

それをニコニコしながら教えなさいということだろうが、うまくいかないことで自分がもんもんとしていることに対し、優しくされても正直気持ち悪いと感じるメンタルもあるはずだ。


大事なのは、彼らにとって変わるきっかけになること。

こちらだって、のべくまくなし怒ってるわけではなく、ゆっくり言動を見つめ、大抵は放置していたりする。

しかし、失敗をしっぱなしにし何度も同じことを繰り返す人は、明るく優しいアプローチでは余計向かうべき道がわからなくなるはずだ。

そんな若者たちが大人になって、自分は一切不愉快に思わない人間になるのなら、そんな社会になるのなら、今から周りが怒るのはやめた方がいいだろう。


そんなはずないのだ。


彼らも不愉快になり、なんなら突然ぶちきれて大変な暴動を起こすかもしれない。


きちんと怒ってあげないと。


少なくとも、直近の僕の説教は、彼らの納得と府に落ちたような理解、そんな表情に見えた。


だから彼らは怒られるのを待っていた気がするのだが、それは僕の勘違いでないと本気で信じている。


彼らこそを強く信じているのです。


大塚へ

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