2019年06月30日

鼻呼吸 その1


「鼻から息が漏れる学生がいて、どうすれば治るんでしょうか?」

今は僕の生徒にはいないが、かつては数人いた。そしてあらゆる管楽器の先生が嘆くので、それなりの割合で楽器関係なくみられる症状のよう。

実は鼻腔(びくう)から喉へ抜ける穴は、息を吸うときは開いているが、吐いて音を出すときには閉じている。

これはホルンのサラ・ウィリスさんがアップしている、演奏時の顔を横から撮ったレントゲン映像をみるとはっきりしている。

鼻から抜けてしまう人はこの穴が閉じないとなる。



僕は最近、鼻呼吸を取り入れている。基礎トレーニングだけでなく、本番でも。ピアノだけでなく、ブルックナーのフォルテでも、アンブシュアを作ったまま鼻から吸い、舌のアプローチだけで吹いたり。

口を開け、吸い込み、閉じアンブシュアを作るという時間をプレイぎりぎりに計上しなくてもいいため、落ち着いて集中して出せる印象。

以前は鼻呼吸の方が量吸えないというイメージがなぜかあった。しかし試してみるとさにあらず。鼻腔から喉へ抜ける穴は、口腔のそれよりとても小さいため、スピードのある息を通すらしく鼻呼吸の方が喉も冷たく感じる。つまり、スピードと共に奥まで入っている印象。

「鼻呼吸の方が、音を出すアプローチの意識が早めにきますね」との意見も。

口の開け閉めからアンブシュアを作る作業が済んでしまっているため、神経が音を出すことに集中できているからだと思う。



鼻から息が抜けてしまう人は、鼻呼吸にして吐く瞬間に喉を閉める意識を持つのはどうだろうか?


オープンキャンパス

posted by take at 13:34| 活動報告

2019年06月29日

塊る(かたまりる)


カルテットのレッスン。中に入り何曲か演奏。その後、1人1人に一緒に吹いての感想を聞いていく。


「先生の演奏はフレーズの行き先が見える。自分は今吹いている音ばっかりで、先が見られていない」


「先を意識して」というのは先生だけでなく、楽聖もよく使う言葉だが、今の僕は少し違う考え。異なる投げ掛けをしたい。


フレーズの塊を意識して、途切れさせることなく


この「塊にする」というのは、音と音を隙間なく繋げればよいというものではなく、あえて言うなら


つじつまのあるお話にして一気に喋りきる


みたいなこと。一気にといっても、テンポ速く短時間でという意味ではなく、全ての音の繋がりに感情的つじつまがあり、それで一文にということ。息の方向性がさ迷わないで句読点の前までためらわず。


塊という意識を考えてみた。

一番長大なのなら、ワーグナーの指輪。四夜でひと塊。五時間近い一夜がひと塊で感じられること。指揮者には必要な視線。

二分割ならたとえば「アダージョとアレグロ」とか。もちろん一曲ひと塊で最後は見られなければならないが、まずはアダージョでひと塊、アレグロもひと塊。

三分割なら、ソナタや協奏曲の三つの楽章それぞれひと塊。また形式がABAみたいになっていたならAひと塊、Bもひと塊。

四分割なら、交響曲のよっつの楽章が各々ひと塊とか。


いずれにせよ、大局の方から見つめ、そしてそのひと塊がバラバラにならない前提で、更に細部を分割して変化や流れを仕立てていく。

そうしたら大抵の音楽は、一番短くても2小節か4小節はもう分割しようのないフレーズなはずだから、たとえ初見で吹いたとしても、止まるような意識で細分化になってしまわず、塊の意識で吹ききる。

すると一番の課題でもある「どのように息を流すか」も、理想の方向を向くはずなのです。


大塚へ、NTTレッスン

posted by take at 12:32| 活動報告

2019年06月28日

先に変わる方


夫婦が仲良くする秘訣なんてのをテレビでやっている。一瞬だけチラ見した。

「付き合っているときは両目で相手を見てても、結婚したら片目をつむり片目だけで見る」なんて言っている。

僕は「相手が変わらないと自分が幸せになれないと思うより、自分が変わると相手も変わると思っていた方がいい」という持論がある。


実はこれは大学での楽聖との関係も同じだと思っています。

いろんな教師がいるし、楽聖もその数だけ個性がある。

しかし充実した時間から、よき学び、成長を得ることは、絶対的目的としてぶれずに存在している。更に、もし褒められないような言動あれば、少なからず改善されるような楽聖生活になることも大切。

そのためには、教師との関係はとても大きいと思う。

楽聖とは総じて未熟なものだ。だから成長すべく、楽聖生活がある。

しかし楽聖が未熟で能力が低く努力もしない、人間的にも問題があるから彼らが伸びない、変わらないと考えるのは、僕にはつまらない。

教師としての自分が変わった方が、楽聖も変わると信じた方が、向き合う意欲がわく。

もちろん僕の力を全て使っても、善き方向へ導けない楽聖ももちろんいる。

しかし個性豊かな楽聖たちに対して、その都度理解をする努力をし、それまでにないベストな投げ掛けを探すことで、変わっていってくれるといいなと。


つまりこちらの変化で、楽聖たちが、良い方向へより変わりやすくなるといいなと考えているのです。


川越へ


posted by take at 21:37| 活動報告

2019年06月27日

君たち、急にパパ嫌傲慢だね!!


遂にマンゴーの扉が開きましたっ!!!!


世の中に増えたマンゴーテイスト、本物はもちろんアイスやジュースまで、実はもてはやされているほどは好きではありませんでした。

東国原さんが宮崎マンゴーをアピールしていたのは見ていたし、なにせ沖縄に通っている身ですから、本当はとっくにマンゴー好きになっていてもおかしくないのですが……


駅ナカにあるジューススタンドなんかでも一度も頼まなかったし、アイス屋にて数種類選ぶのでもチョイスしたことはありませんでした。

濃厚な味わいはわかっていたのですが、どちらかといえば癖を感じていて。


前回の那覇からの帰京時、安くはないが(二個で3000円代)買って帰って食べたらあーた!!


めっちゃうまいやん!


閉じていた部屋の扉が一気に開き、中から「ようこそマンゴーの世界へ!!」とのタスキを掛けたキャンペーンマンゴーが登場。

残りの人生、それなりに(高いので…)マンゴーを楽しむ契約書をもってあらわれ、僕は迷わず捺印。

いままでの無関心を詫びたのでしたぁ。


ゴメンねマンゴー君、ようこそマンゴーちゃん!!!!!!


川越へ

posted by take at 14:14| 活動報告

2019年06月26日

美しき人生


外国の番組ですが、70歳を過ぎたベテラン俳優が数人で、ドバイを旅行している企画物を見ました。


珍道中のテイストは、夜のウォーターショーの場面で一気にロマンティックに。

砂漠の真ん中に作られた超近代都市。その中心で行われる規模の大きい噴水ショーは、スケールの大きい芸術性の高いもの。

30分おきに様々なテイストで披露されているが、そのクライマックス、アンドレア・ボチッチェリとサラ・ブライトマンが歌う名曲、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」にのせて夜空を舞う水柱たちの群れは、テレビの画面越しであっても圧巻の美しさ。心震える感動をもたらした。


湖畔のレストランで、言葉なく見つめ続ける俳優たち。カメラが撮っているのを忘れたかのような表情で、静かなる興奮と共に静止。時の流れに身を任せている。


余韻をその表情にためたままの食事の席、普段はユーモラスなキャラクターで周りを楽しませている一人の俳優が、ゆっくりと自分の人生を語りはじめた。


「私はね、この企画番組以外で旅行をしたことないんだ。妻とも旅行なんてしたことない」

紅一点、同行している若い女優が「本当ですか?」と反応。

すると彼は柔らかい笑みを浮かべ、ひとことだけつぶやいたのです。



「人生が美しく見えてきたよ」



はにかんだような表情から生まれた目尻のしわには、苦労と共にあった人生の長い旅の先に出会えた、そんな幸せがにじんでいるように見えました。


川越へ

posted by take at 13:30| 活動報告