2019年05月04日

ありがとう ごめんなさい


「あなたは普段、ありがとうやごめんなさいを言えてますか?」と質問した場合、ほとんどの大人が「言ってる」と答えると思います。


本当に言えてるだろうか?


知り合いを思い起こしてみたとき、お礼や謝罪の姿、その記憶がほとんどわきあがらない人はいます。「すみません」を言ってるイメージすらわかない人もいる。

おそらく、日常的に極めて感謝や謝罪を表現していないのではないだろうか。

それでも「してる」と言うなら、本人はしている気になっているのだろう。その発言ができないことがまずいのは、誰もがわかっているだろうから。


子供の頃から、学校ではこの二つをきちんと発言することは教育されている。実際訓練のように発言していくことで、思いやりと正直さを身に付けていくのでしょう。

もし言えない場合は、恥ずかしくて言葉がでてこないということもあるだろうが、しかし先生から促されればきちん言っているはず。全員で復唱したりもしてる。


社会人になり、一人立ちからの自信をつけていくと、子供の頃より言わなくなる人がいるでしょう。

不遜になっていくから。

そういう意味で、幼少から学生までの教育が、完璧に染み込まないパターンもある。



50歳を過ぎ、老いを感じたり、自分の老後の時間が不安になってくると、そんな人でも後れ馳せながら「ありがとう」や「すみません」を言えるようになる人もいるが、気持ちに宿ってなければ、結果周りはその性根は評価しない。


「ありがとう」「ありがとうございます」「すみません」「ごめんなさい」


きちんと発言すべきタイミングで、心からのトーンにて発言できている人は、若い頃からのその姿が思い浮かぶことで「普通の大人」として認知されている。


家庭環境他理由は様々あるとは思うが、言えないまま大人として生きる時間が過ぎると、相手の気持ちがどんどんわからなくなることは確か。


学校の現場は、言うことを要求するのと同時に、人様の気持ちを見つめ、自分の立場と同じくらい相手の立場を尊重しなければならないことも、理解するまで伝えてから、社会へ送り出さなければならないのだと思う。


N響定期練習
全般的に偉そうですみません。m(__)m。思うことあり書いてしまいました。

posted by take at 19:11| 活動報告