2019年04月26日

音に込めるもの


ジャズトランペットの大御所、タイガー大越さんの言葉に


「音に込めるのは心じゃない。音に込めるのは人生だ」


というものがある。クリニックで大学生相手に言った言葉。


「もう君は十分生きてる。その人生を込めるんだよ」


最初この言葉を知ったときは、瞬時にはっきりと意味がわかったわけではなかった。凄いこと言うなあ、かっこいいなあと思っただけだったが、今は何を言わんとしてるのかはよくわかる。

インプロビゼーションの世界とはまた違いますが、最近は僕も楽聖たちに投げています。


実は学生の頃からずっと「心を込めて」や「もっと歌って」などの投げ掛けは、僕にはとてもぼやっとした意味にしかとれませんでした。

「歌を歌うように」というのはわかるが、ただ「歌って」というのは、揺らしたり膨らましたり、身体を動かせばいいのか?と、幅が広すぎて具体性が感じられないのです。

同様に「心を込めて」も、何でも目をつむり鼻息荒くやりゃいいのか?とうがったようにとりたくなるのです。



目の前のフレーズは、どのような感情を表しているのか、どのようなシチュエーションなのか、ビジュアル的なのか精神的なのか、はたまた無機質なのか。

そんな作曲家が言いたかった様々な音たちがもつ本来の内容に対し、自分の過去の経験からの情感やビジュアルこそを込めるべきで、一律「心」とか「歌う」という言葉での取り組みでは奥行きが足りないし、なんならとんちんかんな表現にもなりかねないと思います。


そういう意味で演奏とは「自らの過去から引っ張り出してくる」、そんな作業とも言えますね。



表現の仕方がわからない?

いや、きっとできるよ。

君が過去経験してきたいろんな状況からわいた感情、今目の前のフレーズが必要としているのはそのどれかだから、探して、選んで、そして音に込めればいいだけだよ。


川越へ

posted by take at 18:12| 活動報告