2019年04月25日
自分の辛さ
新大久保にて韓国のインスタントラーメンをいくつか買ってみる。ただでさえ辛いのはわかっているが、その中でも「辛い」と銘打っているものも試します。
それを食べてみて、初めてわかったことがありました。
家人とはなんだかんだ長く同じものを食べてきたわけです。お互い苦手がほとんどなく、甘さ、辛さ、酸っぱさも平均的にいける感じ。
辛さに関しては、最近食べつけてきたこともあり、二人共平均か、それよりは楽しめる舌なんだろうと思ってました。
今回、ブルダックマークの付いた「辛いぞ〜〜〜」と叫んでるようなのにチャレンジしたところ……
僕は、一口食べてギブアップ。その痛さにどうしても二口目は行けず。
家人は「こ、これは辛い…」と言いながらも、最後まで完食。
辛いのいけがちな私たちでも、上澄みのレベルになれば彼女の方が楽しむ力は高かった。これは、長く一緒に暮らしていても知らなかったことでした。
うちで友人たちとその話をしていて、ふと
「健康診断でさ、辛みや甘み、酸味がどこまでいけるかってのが数字でわかるってのどうだろう」
と言ってみた。視力や聴力みたいに計って数字化。
「君辛いのいくつ?俺Max67なんだよね」みたいな。
そしてレストランのメニューも、唐辛子の数じゃなくて数字で示されてると、的確に楽しめるのを選べるかも。
身長や体重、血液型あたりは自分のパーソナルのひとつだが、味覚の趣向の数字もひとつの情報としてもっていると、新しいコミュニケーションツールになるかもしれませんね。
川越へ、N響定期
posted by take at 15:38| 活動報告
2019年04月24日
ベアーウォーズ
中国四川省の山奥にて暮らすパンダの一家があった。
お父さんは耳が黒ではなく茶色のシヨク、お母さんはマスクが甘いメロン、長男はピンチに頼りになるカン、長女コツぺは誰をも包んであげる優しい子。そして末っ子アンは、甘えん坊でいつも誰かの後ろにくっついている臆病者の男の子。
友達たちは、頭が固いフランス、テンションアゲアゲのカレー、ネタを持ってたり持ってなかったりするぶどう、距離感近くベタベタしたがるジヤム、そしてアンが密かに恋心を抱いている柔らかい性格のクリーム。
そんな彼らの村に、不穏な噂が流れる。荒くれものでチョー嫌われもののグリズリーのアが、近づいてきていると言うのだ。
乱暴者のグリズリーの中でも、アは特に気性が荒くて知られている。ただ最近はあまりの不人気に凹み、「いいクマキャンペーン」をやっていると聞いていたのだが……
ゴロゴロしてるだけなのにJK(女子クマ)から絶大な人気を誇るリラツの姿に
「なにがいいクマキャンペーンだ!俺は熊なのに馬鹿馬鹿しい!!」
とわかるようなわからないような言葉を残し、以前よりも更にヒールベアーとして、あちこち迷惑をかけているというではないか。暗黒麺を食べたアは、完全にダースベアダーと化したのだった。
噂が怖くて怖くてしょうがない末っ子アンは、一日中笹の葉布団をかぶってブルブル震えている始末。
すると、外で遊んでいたはずの兄弟友達たちの悲鳴が聞こえてくるではないか。
「ベッ、ベア〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!」
勇気もなにも身体が動かないアン。
「ひ、ひぇ〜〜〜、ムリ、ムリっす、勘弁してぇ」
しかしとうとうクリームの声が。
「やめてください!!なんで同じクマの仲間なのに私たちをいぢめるの!?あなただって、よく見りゃイケメンマに見えなくなくなくない感じなのにっ!!!」
「イケメンマってなんだ?……」とアンは一瞬思ったが、その直後に響いたクリームの悲鳴を聞いた瞬間、いてもたってもいられず布団を飛び出して外へと駆け出していた。
アの腕にはクリームが抱えられている。
「クリーム、大丈夫か?」
「みんな、私は大丈夫。こんなやつ相手にしないで逃げてっ」
周りを囲むアベアンジャーズは、一歩も動けない緊迫状態。
「悪魔のようなやつめ、クリームを離せっ!!」
アンはありったけの勇気を振り絞り叫ぶ。
「俺はアクマじゃねえ、クマのアだ!!そういうお前はなんだ!!」
「僕はパンダのアンだっ!!」
「アンパンダ?ふざけた名前だがうまそうだな。こいつを助けたければ、俺の手下になれ」
「誰がお前なんかの。それより客観的に自分の言動を見てみろ。空気読めないだけでなく、クマ様のおかげで生きていけてるという感謝の気持ちが日常的に無いから、周りとの距離感ばかりが遠くなっているという悪マ循環に気がつかないのか!!」
「ちょっと何言ってるかわかんない……うっせ!!こいつがドーナツでも言いのか」
「それを言うなら、どーなってもいいのかだろ!日本語も怪しいな(中国ですけど)。口でわからないなら、これでもくらえっ!」
何気に勇気以外にもいろいろ持ち合わせていたアンは、フォースの力みなぎる右腕を突き出した(右前足ですが)。
「あんパーンチ!!!」
N響定期
次回につづく………かも?いや、ないな。
posted by take at 12:23| 活動報告
2019年04月23日
品格
とある年長者と、ある若者の問題点を話していたとき、突然彼が改めて深く納得したように語りだした瞬間がありました。
「私は、品格って本当に大事で必要だと思うんですよ。あなたには品格がありますよね」
自分と品格なんて考えたこともなかったし、自分が持ち主と認定されるイメージも全く無いので驚いたのですが、彼は話題の若者に「品格の無さ」を感じ、それが最終的に大きな問題点であると言いたいようでした。
そもそも品格という言葉の意味を具体的にするのは、品そのものを理解する必要があり、限りなくイメージ的なものになります。
ひん‐かく【品格】
「@ 物の性質のよしあしの程度。品柄。品質。
A 身分や位・格式。
B 品位。気品。」
「その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位」
「その物から感じられるおごそかさ。品位」
……やはりぼやっとしている。
誰かの具体的所作、言動が沸き上がったりしますが、知り合いの品格の有無を判断しようとしても、はっきりと感じない人や近寄りがたさ含め高貴な人はわかるが、大半の人にはグレーゾーンのようなものも感じてしまいます。
つまり品格とはなんぞや含め、個人への有無を限定するのは難しい印象。
西洋音楽をやる楽器に携わる世界だから=クラッシックは高尚なイメージがあるから品位が、と語ると、じゃあ品位がなくてもいいジャンルって?となる。
どのジャンルも、一流になればなるほど品格や品格らしきものを備えた人が携わっているのだとは思うが、同時に歴史や国境を越えるものとして、作曲家という第三者への敬意が必要なものとして、何より偉大な自然や人類の精神性や愛こそを大切にするものとして、うわべではなくまさに精神の根に品位を持っていることは大事なのだろう。
そうは思って見つめてみても、品格とはクリアーにはわかりにくいが、対義語としての「品格が欠けているさま」というのを調べると、凄くほどたくさんの言葉が出てきました。
『下品な ・ 下劣な ・ 低俗な ・ 卑俗な ・ 品性のない ・ 品性に欠ける ・ 品のない ・ 低劣な ・ 卑劣な ・ 底が知れてる ・ 浅はかな ・ 底の浅い ・ 猥雑な ・ 狭量な ・ 心の狭い ・ 度量の狭い ・ 品格の無い ・ 上品でない ・ 人間が卑しい ・ 品性が下劣な ・ 醜い ・ 教養のない ・ 野蛮な ・ 下種な ・ 下種っぽい ・ 下賎な ・ 野卑な ・ 俗臭ふんぷんの ・ 俗物的な ・ 俗っぽい ・ 品性下劣な ・ 浅ましい ・ 意地汚い ・ 嫌らしい ・ ダーティな』
これらを品格のなさであるというなら、確かに話題の若者はいくつか当てはまる。
なにかと厳しくデリケート、かつ集中力の必要なこの現場に相応しい者とは、なにより人の心を揺さぶる演奏ができるようになるためには、これらではない人、つまり「品格を持ち合わせてなくてはならない」という意見は、理解できてきます。
楽器を操るのは上手いが品位に欠ける人は、学生だけでなくプロの現場にもいます。そんな人は、最終的に完成された演奏家とは言い難かったりします。
ステージマナー、オフステージにおける冴えない人間性は、時間と共に評価に加わっていき、結果内容の浅さは露呈していくからです。
N響定期練習、大塚へ
posted by take at 12:12| 活動報告
2019年04月22日
女性年齢的確投げ掛け協会
年齢の話になり
「わたしいくつに見えます?」
という女性からの質問には、明確に正解がある。
見えた感じより5歳若く言うのがそうだというのだ。(成人の最低ラインは20代前半であっても20歳。10代を答えるのはNGらしい)
実年齢ではない。見えた感じという「なんじゃそりゃ?」的高ハードル。
たとえばたまたま年齢を知っていて、知らないふりで5歳若く言えば正解っぽいが、見えた感じっちゅうのは、本人が幾つに見えていると思っているかなわけで「そんなんわかるかい!」と、難易度天井知らずなわけです。
本人が幾つに見えていたいか。
やっかいなのは、普段から若く見られがちな人、老けて見られがちな人もいる。それぞれ嬉しい人いれば、たとえ若く見えがちでも嫌がっている場合もある。
老けて見られがちな人は「いくつに見えます?」と聞いてこない場合が多いとは思うが、人生ウケ狙いチャレンジャー気味な女性もいたりして、低めの数字を求めて投げてきたりもする。
老けて見られがちだとして、実際25歳の人が35歳に見えたので、よかれと思って30歳と答えると、残念ながら禁固刑。
いくつの女性も、どんな趣向の女性も、実年齢や見られたい歳より5歳以上上を答えてしまうと斬首刑だ。
つまり「いくつだと思います?」の瞬間の顔と声のトーンから、的確に分析し、彼女の心の中にある「いくつに見えたい」をわかるような聡明さをもたなければならない。
引くのは5ですよ。引き算間違えるようなアホちゃんは、「世界女性年齢的確投げ掛け協会」の査定で、即時宇宙追放です。
そして私たちは、最終的に女性が年齢の正解を言った時、必ず
「え〜〜?見えない。〇〇歳じゃないんですかあ?」
と、白々しくなく答えなくてはならない。ここが最高の演技力発揮時であり、人生最大の難所でもある。
初代林家三平師匠の貫いたパターンにこそ、この一連のラビリンスを抜ける答えがある。
師匠はいついかなる時も、自らは数字を答えず、結局女性が「実は〇〇歳なんです」と言った瞬間
「見えるぅ〜〜〜」
としか言わなかったそうだ。
実は老けて見られがちな人でも、この答え方を想定している女性はいないはずで、よって心中たじろき、なんなら鳩豆鉄砲な顔になるだろう。
そんな顔を見てみたいという、なんとも意地悪い僕がいる。ギロチン刑であることは間違いないが、女性は口が360度以上裂けても言えないこの「見えるぅ〜〜」、言えるのは男だけだとしたら、三平師匠ほどの人望がある自信のある方はどうぞ。
N響定期練習
posted by take at 14:42| 活動報告
2019年04月21日
余裕
余裕こそを持つことの重要性を強く感じています。
若者たちに「人生何を選択するかが一番大事なんだよ」と、良き判断からの選択力をもつことを要求している。実は余裕がないと、この選択自体から誤ってしまう可能性が高い。
金銭的余裕、時間的余裕、健康状態の余裕、十分な睡眠や体力の余裕等々。
ある大きな外科手術をした人から聞いた価値観。
「治るというわけでなく、痛みをとるための手術だと言われた。痛いというのはとにかく全てにおいて具合が悪いそうだ」
確かに痛みがあることで、あらゆることができなくなる。マイナスに支配される。だからまずは痛みをとってゼロにし、そこから自分でクリエイトしながら治すしかないと。
これも失われる余裕の話。つまり手術をして余裕こそを与えてもらうと。
自分がほんとうにやりたいことをやっているというのは、余裕を生むのに必要なこと。
そうなってない、さほどやりたいわけでもないことに時間を使っていると、充実している実感がないことで陰鬱な気持ちに支配され、未来にとって良き選択もできなくなってくる。
ストレスから物欲や食欲へと転じるかもしれない。お金が欲しいばかりにアルバイトや仕事の内容、その選択が冴えないものになったり、時間的余裕を失って、体力の余裕も失ったり。
選択を誤るから余裕がなくなるのか、余裕がないから選択を誤るのかは、にわとりと玉子のようなもので、スタートははっきりしない。
ただ、若き頃にすべき苦労が実になるかどうか含め、余裕あってこその成長であり、未来への充実だ。
そういう意味で「余裕がもてる方へ選択しよう」という投げ掛けは必要だと思い始めている。
夢や目的あれど、辛くしんどく充実感がもてない、そんな余裕がない時間が長くなると、残念な結果にしかならないことは確かだから。
室内合奏団
posted by take at 15:11| 活動報告