2019年04月30日

ピノ論


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昨年の夏からピノラーになっている。

……アイスのピノにはまっているということです。


いろんな味の詰め合わせは趣味ではなく、オリジナルの6個入りが、常に冷凍庫に常備されている。


皆さんはピノに当たりがあるのをご存知だろうか。ハート型の「幸せのピノ」と星型の「願いのピノ」。運がよければ出逢えると。

僕はまだ出逢えてないのだが、ハート型は出現率3.2%、33箱に1つ。

実は今まで二回出逢えた星型は4.8%、22箱に1つ。

そして今回、驚愕幸運がチョコっとやってきました。


「ほしっ☆☆ふたつで〜〜〜す」


マチャアキもびっくりな強運22×22ということで484箱にひとつ。毎日一箱食べても1年と4ヶ月に一度しか逢えないわけで、まあ素晴らしいなあ自分てな感じ。


沖縄での楽聖との話題。

友達や家族と食事した際、違うものを頼んだが、おかずを共有よろしくもらったりあげたりはどうよと。テレビで、平気と実は嫌が半々だったのを見て、話題に上がりました。

嫌という人は「一食分食べたくて頼んだわけで、自分分が減るのは嫌だ」「向こうの勝手でくれて、でも返さないわけにはいかず、そんなつもりもなかったのに」辺り。


「実は私も、本当は嫌です。カップのアイス、一口食べていいよって言われて本当に一口だけ食べるじゃないですか。でこっちがピノだと、6分の1あげなきゃいけないわけで、割に合わない」

「…………そ、そらそうだ。僕はその意見、嫌いじゃないね……」

「だからって半分に切ってあげるのも」

「ピノ切りにくいよね」

「噛みきるんです」

「えっ?(ある意味仲いいから1個あげちゃっうのだめかね)じゃあ、8個入りだとまだいいか」

「いいえ、8分の1もあげるのは損です」

「わかるう〜〜〜」


彼女はきっと、心で泣きながら6分の1差し出してきたのであろう。今度何箱か買ってやろう。数少ないハートに出逢えたなら、心のもやもやも溶けていくだろう。

ちゃんと冷凍庫にしまうのだよ。


沖縄県芸レッスン


posted by take at 11:59| 活動報告

2019年04月29日

注射針のように


僕はレッスン中に、時々注射針の話をする。

息がスムーズに入り滞りなく流れる理想を、採血の思い出、そのいくつかのパターンで表すのです。


若い頃A型肝炎で入院したことがあります。

毎日採血から1日が始まっていたのですが、いろいろだったんですね、痛みも印象も。

おそらく経験が少ないのでしょう、若い看護婦さんの失敗採血もありました。

「チクッとしますねぇ」

本当にチクッとし、痺れるような痛みと共にツツツッと、抵抗ありながら針が入っていくのがはっきりわかります。痛みは慣れることなくクレッシェンドしていくので

「い、痛いですね」

と言いながら腕を見ると、中で漏れてるようなあざが見えてるみたいな悲劇。嗚呼、思い出すだけで痛い。


ベテラン婦長さんの場合、

「よしかわさあん、採血しますね」

寝ぼけた僕はなされるがままですが……


「はい、押さえといてくださあい」


へ?刺したの?入れたの?抜いたの?

何も感じることなく終わったのです。

痛点を外し痛みどころかプレッシャーを1ミクロンも感じさせない名手の仕事。

想像するに、針は極めてスッと滑らかに入り、同じスピードで自然過ぎる動きで往復したのであろう。


息はかくありたいという思いなのです。


レッスン

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2019年04月28日

名手への必須の印象


そういう意味で


「あの人は唯一無二の存在だ」


という印象をもたれるようにならなければならない。

「変わり者」という言葉は日本人にとってはネガティブだが、対義語が「大多数同様でしかない者」だとしたら、それは人の心がピックアップして必要とはしない者ということになる。

ブラームスの第一番を100人の指揮者が振ったら、全く同じ演奏はひとつも無く、100通りのディテールになる。

そこには、魅力的なものとさほどではないものがあり、本当に望まれるものは、他の大多数とは距離のある特別さこそがはっきりと存在するもの。


本物のマエストロ(巨匠)の、彼だけのスタイルが貫き通されたもの。


まさしく変わり者が生む変わり物である。


室内合奏団、レッスン

posted by take at 09:53| 活動報告

2019年04月27日

名手への必須


自分のスタイルこそを持っていること。それを模索し、工夫し、確立していくこと。


自分の魅力を更に膨らませていくための練習パターン、自分の問題点を改善していくための練習パターンは、自らの産物であること。

自分にとって最良の練習空間を探すこと

自分にとって効果的な練習時間を得ようとすること


そして自分だけの理想


これらにおける、強い強い自分だけのスタイルこそを持っていること。


教師からの反応、教師からの投げ掛けは、その自分のスタイルに足す参考程度であること。


大塚へ

posted by take at 09:31| 活動報告

2019年04月26日

音に込めるもの


ジャズトランペットの大御所、タイガー大越さんの言葉に


「音に込めるのは心じゃない。音に込めるのは人生だ」


というものがある。クリニックで大学生相手に言った言葉。


「もう君は十分生きてる。その人生を込めるんだよ」


最初この言葉を知ったときは、瞬時にはっきりと意味がわかったわけではなかった。凄いこと言うなあ、かっこいいなあと思っただけだったが、今は何を言わんとしてるのかはよくわかる。

インプロビゼーションの世界とはまた違いますが、最近は僕も楽聖たちに投げています。


実は学生の頃からずっと「心を込めて」や「もっと歌って」などの投げ掛けは、僕にはとてもぼやっとした意味にしかとれませんでした。

「歌を歌うように」というのはわかるが、ただ「歌って」というのは、揺らしたり膨らましたり、身体を動かせばいいのか?と、幅が広すぎて具体性が感じられないのです。

同様に「心を込めて」も、何でも目をつむり鼻息荒くやりゃいいのか?とうがったようにとりたくなるのです。



目の前のフレーズは、どのような感情を表しているのか、どのようなシチュエーションなのか、ビジュアル的なのか精神的なのか、はたまた無機質なのか。

そんな作曲家が言いたかった様々な音たちがもつ本来の内容に対し、自分の過去の経験からの情感やビジュアルこそを込めるべきで、一律「心」とか「歌う」という言葉での取り組みでは奥行きが足りないし、なんならとんちんかんな表現にもなりかねないと思います。


そういう意味で演奏とは「自らの過去から引っ張り出してくる」、そんな作業とも言えますね。



表現の仕方がわからない?

いや、きっとできるよ。

君が過去経験してきたいろんな状況からわいた感情、今目の前のフレーズが必要としているのはそのどれかだから、探して、選んで、そして音に込めればいいだけだよ。


川越へ

posted by take at 18:12| 活動報告