2019年03月22日

空気製造者の資質と責任


オケマンとしても大学の指導者としても大先輩にあたるとある方の言葉


「吉川、俺は大学で先生をやっていいやつは、本当は限られてると思ってる。そうじゃないやつがたくさん、学生相手に偉そうにしてるけどな……」


突然発せられたその価値観は「さあ、お前はどうだ」と問われているようで、強い緊張の中に身を置いたのを覚えています。



真に良い指導者とはという考察で、以下のみっつが優れていることを兼ね備えているのが条件だとの意見を見た。


「演奏レベル」

「指導力(洗脳力ではない)」

「人間性」


優れた演奏家イコール優れた指導者ではない、逆もまたしかりというのは、あらゆるジャンルの人が、我がフィールドのように感じるだろうことは、容易に想像できる。

人間性を絡めると、更に多様化。そして、そんな人たちも確かにいる。



1.演奏家としてはピカ一、指導者としては冴えず人間もよろしくなく

2.演奏も指導も成果をあげるが、人間がアウト

3.演奏家として人として魅力的だが、指導者としては結果に繋がらない

4.演奏はだめだが、指導者として人間としても素晴らしい

5.演奏も指導もだめだが人間は素敵

6.教育は成果を出すが、演奏も人間もだめ



みっつ共駄目な人はそもそも選任されないだろうから登場しないが、確かに全てを兼ね備えている人は限られている気がし、そんな人だけに資格があると言い切れば、先人の言葉は強く説得力を放つ。



実は教育の現場の最終結論は、若者たちに訪れる充実こそが価値の全てだ。やるべきことは、若き人たちを導くことなのだから。


そんな彼らには、素晴らしい環境が必要だ。

疑う気持ちが蔓延する殺伐とした環境にいると、しっかりした人間でも蝕まれていく。

逆に希望が存在し、信じる気持ちに充ちている環境なら、あらゆるレベルのポテンシャルが活躍でき、先の長い人生の糧になるような学びや気づきが得られる。

それもこれも、作り上げるのは構成員である若者というよりは、実は携わっている大人だ。コミュニティの環境は、そこに加わってきた若者の力では、いかんともし難かったりする。

細かいディテールは学生個人でも空気は作れるが、伝統のように覆っている価値観の柱は、ほぼほぼそこにいる大人の産物であり、もっとも変えようがないもの。

だからこそ教育者には、当人が思っているより重い責任がある。


みっつの条件こそを胸に刻み、勘でものを言わず、真摯に向きあうしかない。

がんばります。


大槌へ、ホールの音響チェック

posted by take at 13:11| 活動報告