2019年03月20日

包みこむ


N響のティンパニスト、植松君がブロカートの合奏に指導にきてくれました。

僕の「打楽器の皆さん、大きくてもいいんですが、うるさくない音にしましょう」との投げ掛けに


「ベタ塗りにならないで、周りを包みこむような音(トレモロのサウンド)にしよう」


とのアドバイス。この言葉が、僕の心に深く残りました。それは打楽器だけではなく、管楽器も弦楽器も同じだなと。

更に


「バンと打楽器が鳴った後は、他の楽器が音楽を持ってってくれる(運んでくれる)んだから、そこではベタ塗りではなくて包みこむような音にしないと、それらの楽器が聞こえないよね」


これまた僕の心にフィット。

さすが名演奏家。シンプルな言葉は、意外に自分では行き着かない世界へと運んでくれます。


しばらくこのことを考えていて、新しい価値観がわいてきました。



「周りの音が聞こえてくるような、そんな自分の音を出そうとしなければならないな」



合奏やアンサンブルというと、とかく「聞きなさい」と意識への投げ掛けばかりになるが、そもそも周りが聞こえなくなるような音、周りが聞こえてくる音がありそうだ。

私たちはとにかく、周りが聞こえてくるような音を出そうとしなければならない。それは打楽器奏者が言った、周りを包みこむような音なのではないかと。


優れたオケマンは、当たり前のようにそのことが自分の音への必須条件であり、当然からすると意外に、そうは求めてない人もいたりするのではないか。

そんな音はたとえ良い音であっても、合奏の中での表現としては、ハウリングになるのかもしれない。



更に考えていていたら、コミュニティの中での人間性にも、結局同じことが必要なのかもしれない、と。


別に全員が聖母になるという意味ではなく、心のどこかで、自分以外の人を包み込めるような柔らかい豊かさを目指していることこそが、実は大事なのかもしれない。

相手の心、周りの心の声がちゃんと聞こえるために。


レッスン
若い人は周りどころではなく自分で手一杯だろうが、それでもこの気質を持っている人と持ってない人には、その段階からはっきり分けられると思います。

posted by take at 17:56| 活動報告